指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

つっかえ棒をはずすということ。

赤目四十八瀧心中未遂

赤目四十八瀧心中未遂

車谷さんの長編を初めて読んだ。車谷さんの「住所不定」だった頃のある時期が描かれている。読んでいてああこれだったのかと思ったのは、「中流の生活。」への嫌悪が吐露されるくだりだ。
ピアノの上にシクラメンの花が飾ってあって、毛のふさふさした犬がいる贋物西洋生活。ゴルフ。テニス。洋食。音楽。自家用車。虫酸が走る。あんな最低の生活。(「赤目四十八瀧心中未遂」二十二、本文は縦書きです。)
「住所不定」生活の中でこの嫌悪感が車谷さんの目に対象化されて見えて来る。「住所不定」生活に入る前東京でサラリーマンをしていた頃はこの嫌悪感はまだ無意識の中に沈み込んでいた、というようなことも説明されている。だからもしかしたらこの嫌悪感の正体はこれからもっと突き詰められて行くかも知れない。とりあえず本作ではそれは自分の原罪という風に位置づけられている。いずれにせよこの嫌悪感、あるいは原罪が車谷さんを遠いところまで連れて行ったことは明らかのように読める。
たとえば自分のことを考えてみると車谷さんのいわゆる「中流の生活。」への憧れは確かにある。家族には経済的に少しでも豊かな暮らしをさせたいし、たまにはどこかへ出かけて骨休めをしたい。本やCDだって懐具合を気にせず思うままに買えるようになりたい。そんな気持ちは生活して行く上での重要なつっかえ棒でもある。上を目指すことで僕は自分の闇の部分や駄目な部分にとりあえずは目をつぶり生活をひとつの方向に進めることができているからだ。でも車谷さんはそのつっかえ棒をはずして見せる。それは確かにそれだけで読む者に衝撃を与える何かだ。
もうひとつこの長い物語の中に染みこんでいてページをめくると香ってくる車谷さんの世界観が、先の嫌悪感ないし原罪と歩調をそろえていて、そのことによって嫌悪感ないし原罪のリアリティーを補強しているとも言える。つまりそれは車谷さんにとって降って湧いたように唐突な感受の仕方ではないのだ。
ただそうであるとしても車谷さんの「住所不定」生活の根拠のすべてがここにあるとは僕には思えなかった。もっと言うに言われぬどす黒い塊がそこにはあるべきだという気がした。「中流の生活。」への嫌悪感というのは一見理不尽かつ不気味なようでいて、車谷さんの生活を説明し尽くすにはちょっとさっぱりし過ぎている気がする。
しかしその感受の仕方、嫌悪感、原罪では、下降し切るには力が足りなかったようだ。下には下がありそこに住む人たちから車谷さんは違和感を抱かれ、あんたはこんなところにいる人やないというようなことを言われる。心中が未遂に終わる根拠もそこにある気がする。心中が完遂されようとも未遂に終わろうともそれは悲恋の物語だが、未遂であった方がより悲劇的に思える結末についてはここでは措く。車谷さんの作品でこれまで読んだ中で一番読みやすく展開もおもしろかった。初めて読むならこの作品をおすすめします。