指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

空中庭園から見上げる星々の舟。

空中庭園 (文春文庫)

空中庭園 (文春文庫)

星々の舟 Voyage Through Stars (文春文庫)

星々の舟 Voyage Through Stars (文春文庫)

たまたま相次いで読むことになった角田光代さんの「空中庭園」と村山由佳さんの「星々の舟」は、しつらえにとても似たところがあった。いずれも親、子、孫の三世代にまつわるお話であること。短編連作で、同じ家族の別の成員が各短編で順番に取り上げられること。これだけでも、あれ、こういう連作短編って流行ってるのかな、と思わせるに充分だが、孫の世代が援助交際に近いものやいじめといった新しい風俗に接触して危うい目に遭ったり、親がおきまりみたいに不倫していたりといった点も共通している。正直、また壊れかけた家族の話かよ、と思わないでもない。
でもお話のどこに力点が置かれているかと考えると、両者はだいぶ違っている。「空中庭園」は、「今ここ」にある家族の状況をできるだけ新鮮な形で一気につかみ取ってしまいたいモチーフに貫かれている気がする。会話は今の若い人たちの言葉遣いにできる限り近づけてあるし、文章も小気味よいリズムを刻んでいる。その分親の世代の一人称で語られる「キルト」などはやや語り口が不自然になっている気がする。僕の親が僕の子供をこういう文体で語ったとしたらちょっと気持ち悪い。もっと目が曇っていて、その分穏やかな語り口になっていてほしいと思う。
その点では「星々の舟」にあるのは「今ここ」へ至った道筋への関心だ。歴史と言ってもいいかも知れないし、根拠づけと言ってもいいかも知れない。そこでは家族のそれぞれがそれなりに重い体験を背負っている。近親相姦や学生運動の挫折、あるいは戦争体験。「今ここ」にいる家族はそうしたそれぞれの体験を今に引きずったままで互いを恨んだり思いやったりしている。たとえいじめのような新しい風俗が描かれる場合でも、それはそのままの形で放り出されず友人への裏切りという倫理にわざわざ置き換えられて作品の中に組み込まれる。そういう意味では「星々の舟」の方がはるかに古風な物語だし、そうして新鮮さを手放している分、物語の中にそれぞれの情緒が幾重にも積み重なってはるかに深みを感じさせることにもなっている。
結果としては、タイトル通り「星々の舟」を「空中庭園」が見上げる格好になっていると思う。特に「星々の舟」所収の「雲の澪」の中で、祖父が孫娘に彼女が生まれるときのことを語って聞かせるくだりは、自分自身の体験に直結して涙が出そうになった。