指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

よくわからない。

「わが悲しき娼婦たちの思い出」を読んでから結構な日を過ごしてしまった。感想を書くのが難しいように思われたからだ。でもこのまま素知らぬ顔をして通り過ぎる訳にも行かないので、とりあえずわかることから書いて行く。
九十年の生涯の間に最低でも五百数十人の女性たちと寝てその度に必ずいくらかの金を与えて来て、誰ひとり愛さず結婚を一度もしなかった教養はあるものの醜い容貌の男と自分の間にどんな共通点があるか。容貌が醜いというところがやや共通するが、それ以外には何もない。ただ内心でこれは自分も同じなのではないかと思えることがある。それは、対価を支払えば女性と寝られるということだ。しかるべき場所へ行きしかるべき対価を支払えば女性と寝ることができる、そういう世界に彼も僕も住んでいる。
対価を支払えば女性と寝られる、という命題が真なら、その対偶も真のはずだ。つまり、対価を支払わなければ女性とは寝られないということだ。でもこの対偶が真だとすると、恐ろしいほどの孤独に突き落とされることになる。金がなければ女性から相手にされないということになるからだ。幸い僕はこの恐怖を一応免除されているが(それだって家人に愛想を尽かされたらそれまでなのだから割と怪しい。)、彼はその恐怖のまっただ中にいてよい気がする。でも本当はこの対偶はいつでも保留にされている。あるいは見て見ぬふりをされている。彼は女性に対価を払い続け、そうしている限り払わない場合のことは不問のままで済むからだ。
そしてある夜眠れる美少女に遭遇する。そこで初めて彼は、対価を払っても手に入らない女性がいることに気づく。あるいは対価が無効となる事態に気づく。それが彼の初めての恋を発動させる。どんな対価を支払おうともかなわないときはかなわないことが恋の本質だからだ。対価に覆い隠されていた女性との関係の生々しさが、そこでは手も触れられないほど赤々と露出している。
と書いてきてやっぱり何か違うような気がする。そんなナイーブな話だろうか。これではありきたりな老いらくの恋の話だ。それとも語りの堂々とした感じが、ありきたりな話をそうでもない読後感に引きつけているのだろうか。