指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

「または」のつなぐもの。

わたくし率 イン 歯ー、または世界

わたくし率 イン 歯ー、または世界

実家に帰省。例によって近くのレストランでランチを食べたり、ブックオフへ本を見に行ったり、子供を両親にまかせて羽を伸ばさせてもらう。この前オンラインで何冊か買ったので特に何かを探してた訳ではなかったけど、片岡義男さんの文庫を三冊と古川日出男さんの「サウンドトラック」の文庫版を上下、青山七恵さんの「ひとり日和」を買った。古川さんの作品以外は一冊百五円。安い。どこにも出かけないときはあてがわれた部屋で本を読むか長い時間をかけての夕食。二晩続けて家人とふたりでワインを一本空けたけど大半を僕が飲む。
それで初の川上未映子さん。「わたくし率 イン 歯ー、 または世界」ってよくわからないタイトルなんだけど、この「または」が何をつないでいるのか考えると可能性がふたつあるように思われる。ひとつは「わたくし率」または「世界」というつながり。もうひとつは「歯ー」または「世界」というつながり。前者ととってこのタイトルを勝手ながら意訳するとこうなる。「歯の中のわたくし率、または世界」。後者ととって同じく意訳するとこうなる。「歯の中のわたくし率、または世界の中のわたくし率」。後者では前置詞インの目的語が「歯」と「世界」のふたつあると解釈されてる訳なんですけど、わかりづらいですね、すいません。でもまあ続けます。すると前者がすごく大それたタイトルであることがわかる。この作品に描かれているのは「歯の中のわたくし率」でなければ「世界」そのものだということになるからだ。すぐに、さすがにそれは無理だろうという気がして来る。後者を考えると、「歯の中のわたくし率」でなければ「世界の中のわたくし率」という意味なので、まあまあその程度の規模なら充分あり得そうに思われる。
もちろんどちらにもとれるタイトルであることを作者も意図してるんじゃないかという気がするけど、読み終えてみるとタイトルの解釈としては前者の方が圧倒的に妥当なんじゃないかと思われた。作者は真剣に世界そのものを、少し噛み砕いて言い直すと世界が存在する原理そのものを描きたかった。わたくしが不在でも世界は存在するか、存在するとしたらどういう形でか、という問いかけが作者の意図をそこまで引っ張って行った気がする。個人的にはわたくしが不在ならば世界も消滅してしまうように思われるけれども。
そういう意味では問題意識に埴谷雄高さんと似たところがあるのかなと思っていたら、もう一編の収録作「感じる専門家 採用試験」にその証拠に思える個所があった。でもお誂え向き過ぎて、引っかけのような気もする。結論が出ないので、これはいずれ読み返さなきゃ。