指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

これもおもしろい。

 

失われた近代を求めて 上 (朝日選書)

失われた近代を求めて 上 (朝日選書)

 

 

失われた近代を求めて 下 (朝日選書)

失われた近代を求めて 下 (朝日選書)

 

 

  既刊の三巻本を選書として二巻本にしたというちょっと変わったいきさつの本。すでにオリジナルを読んだ方はダブらないようにご注意を。

 言文一致体の始まりと言えば二葉亭四迷の「浮雲」と相場が決まっているけどその一応の完成とは何かと問うとよくわからない。たとえば森鴎外の「舞姫」は文語体だけど「高瀬舟」は言文一致体になっている。では二葉亭四迷は鴎外に影響を与えていると言えるのかと言うとそれもよくわからない。漱石もほとんどの作品が言文一致体だけどこれも二葉亭四迷の恩恵を受けているのか。個人的にそんなところをぼんやり疑問に思っていた。この本を読んでその辺のこともはっきりした。結論から言えば鴎外も漱石も二葉亭の労作がなければ言文一致体の作品は書けなかったと言っていい。ただしそこにはもう少し複雑な過程と長い時間が必要だった。

 その他、いわゆる「自然主義」と呼ばれる幾人かの作家たちが実は自ら「自然主義」を標榜していない不思議、「自然主義」の代表作と言われるたとえば田山花袋の「蒲団」の恥ずかしさが二葉亭四迷の翻訳したチェーホフの「あいびき」に端を発していること、など、本当におもしろい論ばかりが並んでいる。論と言っても文体はこの作家の小説作品をより開いたものになっていて読みやすい。個人的にいちばん興味をかき立てられたのは漱石の「坊っちゃん」に関する論でこんなの読んだことないオリジナルさでしかも説得力がある。ここを読むだけでもとても楽しかった。

 作者はこの本を、近代文学史ではなく、近代文学史らしきもの、と位置づけているけどその根拠は論が時系列にならずある興味とかテーマに沿って時間を自在に移動しながら書かれているところにある気がする。もうひとつあるとすれば文学史に出て来る専門用語が根こそぎ疑われていることだ。文学史の前提をなす専門用語が疑われてしまえばいわゆる既成の文学史が書ける訳がない。そこに作者の自負が込められているように思われた。