指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

「もののあはれ」とは何か。

小林秀雄の恵み (新潮文庫) 橋本治著 「小林秀雄の恵み」

 小林秀雄が亡くなった。ほとんど独力でわが国の近代批評の敷石を敷きつめ、その上に華やかな建物をつくり、それをじぶんの手であと片づけして、墓碑まで建て、じゅうぶんの天寿を全うした。(後略)

吉本隆明さんは「追悼私記」に収録された小林秀雄への追悼文をそう始めている。受験のときに勧められて「考えるヒント」を読んでもしかしたら「ドストエフスキイの生活」はある時期に読んだかも知れないけどそれ以来小林秀雄は読んでいない。でも「本居宣長」が出版されてそれなりに話題になっていたことは憶えている。出版は1977年ということだから僕は14歳だった。その頃本になんて興味があったんだろうか。でも後になって上記の引用部を読んでから、この「墓碑まで建て」の墓碑は「本居宣長」を指すんだろうなとずっと思っていて、「小林秀雄の恵み」を手に取ったときもまずいちばんにそのことを思い出した。それで「本居宣長」が橋本さんの論によっても墓碑になっているかと考えると、ある意味では確かにそう言っていい作品のように思われた。「本居宣長」はおそらく小林秀雄の最後の姿を留めているからだ。
でも橋本さんご自身は小林秀雄にも本居宣長にも興味は無いと言う。では何に興味があるかと言うとそれは単純で、小林秀雄を必要とした日本人はなにものだったのか、ということだ。「本居宣長」を読みながら橋本さんは小林秀雄と自分の間にあるはっきりした溝に気づく。橋本さんは小林秀雄と同じ時間を自分が生きていないと思い、小林秀雄の作品を古典と位置づける。自分にはわからないが小林秀雄と同時代の読者には共有された何かがあった。それは何か、それを共有し得た日本人はどういう人たちか。
でも本当にそれがテーマなのか?と思わされるほど話題は多岐にわたる。その問いへと引かれる補助線がひどく複雑なものだからだ。世阿弥の「当麻」を観て美の襲撃にあう小林秀雄、そこから回復する小林秀雄、戦時中の韜晦する小林秀雄、対象を語りながら対象に追いついて等号で結ばれた後さらに対象を追い越す小林秀雄。医者としての宣長国学者としての宣長歌人としての宣長。様々な位相が目まぐるしく論じられ話は飛躍しまた元に戻り渦を巻くように何度も繰り返される。その他にも林羅山中江藤樹吉田兼好西行賀茂真淵、その他、僕なんてほとんど名前しか知らないような人々が重要な役回りを演じている。でも彼らについて何も知らなかったとしても、橋本さんの語る彼らの姿は輪郭がとてもはっきりしているのでその場その場で理解が難しいということはほとんどなかった。ただし全体が有機的に結びついているかどうかは判断できない。それを判断するにはあまりに論が込み入っているからだが、読んでひどくおもしろい本であることは確かだ。
本居宣長」での小林秀雄の関心のひとつは「もののあはれ」にあった。彼にはそれが理解できなかったからだ。確かに宣長の「もののあはれ」と言うと字面に比べて何やら難解な印象がある。でも橋本さんの理解は簡単で明瞭だ。それによると「当麻」で美に打ちのめされたとき正に小林秀雄は「もののあはれ」の核心に触れていたように思われるのだが、小林秀雄自身はそれを「もののあはれ」とは思わなかったようだ。橋本さんもそういう風には言っていない。それを不思議と思わないなら、小林秀雄の不幸ととるしか他に道は無い気がした。