指栞(ゆびしおり)

すまじきものは宮仕え。

どこでもない場所。

忘れられた巨人 カズオ・イシグロ忘れられた巨人
カズオ・イシグロの作品を読み始めたのは短編集「夜想曲集」がすでに文庫化された後だったので出版されたばかりの単行本を買うのはこの作品が初めてということになる。こういうのをある作家に「追いつく」と個人的には呼んでいる。その作家の書くものをとりあえず中古や廉価版の文庫などですべて読み終えて他に読むものが無くなって初めて新刊を買う事態のことを指している。たとえば村上春樹さんだったら追いついたのは「村上朝日堂の逆襲」のときだったし高橋源一郎さんだったら「優雅で感傷的な日本野球」のときだった。コーマック・マッカーシーだったら「ザ・ロード」だった(かな?)。それからはその作家の新刊は(数少ない例外を除いて)心待ちにして読むことにしている。
4月に出たときにすぐ買ったんだけど初めの百ページ位を読んだところで読むのを長く中断した。理由は心の余裕のようなものが無くなったせいでバイトもきつかったし体も疲れていて時間もそうたくさんは無かったからだ。でもこの前村上春樹さんの「職業としての小説家」を読んだらなんだかとても小説が読みたくなって再びこの作品を開くことに決めた。そういう場合普通は頭から読み返すんだけどストーリーやキャラクターを強烈に覚えていたためにそうする必要が無かった。個人的に言えばそういうことは異例だ。それだけの時間を置くと読み進めるのに支障が出るほどいろいろなことを忘れているのがたいていだからだ。忘れることができないほど骨太の強いストーリーだったと言える。おそらくファンタジーとかもしかしたら偽史というジャンルに入るかも知れない。アーサー王が死んでまだそう長いときが経っていない時代の、鬼や妖精や竜が現れるおそらくはブリテン島が舞台だ。老夫婦が住んでいた村を捨てて息子が移り住んだらしい村を目指して旅に出る。でも例によって記憶は曖昧で頼りなくときどきフラッシュバックのように戻ってくる記憶の断片はふたりに不吉な感触を残すばかりだ。そしてこれまた例によってと言っていいと思うんだけど物語はどこでもない場所、荒涼として救いの無い、イシグロの作品では見慣れた風景の中に踏み込んで行く。ただし私見ではそのどこでもない場所をふたりは踏破しているように思われる。踏破したからと言ってそれが幸せな結末につながるかはまた別の話なんだけど。そしてラストはとても感慨深い。
前にも書いた通り家人と僕とでは読む本がまったくかぶらないんだけどこの作品の話をしたら家人が興味を示した。ちゃんとオチがついてる?というのが家人が尋ねるおきまりの言葉で彼女なりの重要な評価基準でもあるんだけどこの作品にオチはあるかと尋ねられたら、ある、それも結構すごいのがと答えると思う。