指栞(ゆびしおり)

すまじきものは宮仕え。

デウス・エクス・マキナとしての「壁抜け」。

 「ノルウェイの森」で主人公のワタナベは緑の父親の病床でエウリピデスデウス・エクス・マキナについて話す。状況がにっちもさっちも行かなくなるとデウス・エクス・マキナという神が登場して交通整理をするようにお前はこうしろ、お前はああしろという指示を出しすべてを解決すると。すると村上さんの長編での「壁抜け」は多くの場合このデウス・エクス・マキナに当たるんじゃないかという気がしてくる。事態が錯綜してくると最終的には「壁抜け」をくぐることによってしか現状は打開できない。「ねじまき鳥クロニクル」にしても「1Q84」にしてもこの「騎士団長殺し」にしても、「壁抜け」をくぐることによって事態が好転する展開になっている。だからエウリピデスの評価がこのデウス・エクス・マキナの解釈次第だというワタナベの言に従えば村上春樹の長編の評価も「壁抜け」をどう捉えるかによると言っていい気がする。つまり見方によっては「壁抜け」は物語の展開として安易なのだと言って言えなくはない。ただそれでは誰にでも「壁抜け」が描けるかと言えばそれはどうかなという気もする。たとえば「騎士団長殺し」で言えば登場人物たちは物語の最後に至ってもその多くが謎をはらんだままだ。雨田具彦、免色渉、ユズ、コミ、秋川まりえ、白いスバル・フォレスターの男、その男がいた町で主人公と一夜を共にした女、それからもちろん騎士団長と「顔なが」、顔のない男とドンナ・アンナ。彼女ら、彼らは謎をはらんだまま最後まで独特の存在感を放っている。そしてそのそれぞれの存在感は主人公の「壁抜け」に直接、間接に関わっているように思われる。それら登場人物たちと「壁抜け」の間にある関わりの複雑さ。それがずっしりとした重厚感となってまた物語の奥行きの深さとなってこの作品の読後感をつくり出している。あまりにも多くの謎が解けないまま残されている。それが作品を現実の方に開いているのかも知れないし同時に現実から閉ざしているのかも知れない。どちらにしてもそれらの謎を解くためにまたいつかこの作品を読み返すだろう。もちろんそう簡単に解けるとは思っていないけど。
 短編集に取りかかる前に「みみずくは黄昏に飛び立つ」を先に読もうと思う。