指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

再び「わが悲しき娼婦たちの思い出」、「コレラの時代の愛」。

木村榮一さんと高橋源一郎さんのトークショーに昨日行ってきた。ガルシア=マルケス全小説の刊行記念ということで、「わが悲しき娼婦たちの思い出」と「コレラの時代の愛」を中心にガルシア=マルケスの作品をめぐって話がされた。
はじめに取り上げられたのは「わが悲しき・・・」で、木村さんが冒頭部分をスペイン語で朗読し、訳文の同じ箇所に当たるところを高橋さんが朗読した。音(おん)からしてふたつの作品の遠さがよくわかった。何て言うか日本語にはやはり言霊みたいなものがこもる。
その後、今回はノートを持参して書き留めながら話を聞いた。個人的に気になったのは以下のような発言になる。
高橋さん 川端康成の「眠れる美女」で睡眠薬を盛られた処女を眺める老人は、たぶん自分自身を見ている。
高橋さん 「わが悲しき・・・」の女の子は、眠っているのか、寝たふりをして拒んでいるのか、寝たふりをして相手を待っているのかわからないところがある。
木村さん 初めての晩は起きていて、あとは安心して眠っていたのではないか。
高橋さん ふたりは本当は何をしていたのか。ふたりの間に性交はなかったのか。
木村さん ないはず。女の子は無垢なはず。
高橋さん ローサ・カバルカスは信用ならない。「あの子はあんたに首ったけよ」は嘘ではないか。
木村さん キャラクターに同化しないと訳せないので、ローサ・カバルカスは好きになった。いいおばちゃんだと思う。
木村さん ガルシア=マルケスは作品ができると親しい何人かに原稿の段階で読ませるらしいが、「わが悲しき・・・」ではそれが流出し、後半部分を書き直したという噂がある。
高橋さん 人間は成長しないのではないかと思っている。吉本隆明さんに尋ねたところ、いつか年をとるんだろうと思っていたがとらないんだな、これが、という答えだった。吉本さんが言うのだから本当だろう(笑)。
木村さん 成長しないからこそ七十歳になっても処女と寝るようなこんな馬鹿な小説を書いている(笑)。
高橋さん 社会と取り引きをしている間は自分は成長し大人になったような気がするが、引退したら自分がまったくの子供で何もないことに気づく。これからは老人問題が重要。老人を何で遊ばせるか。いずれにせよ、これが人間なんだと言うしかないのが「わが悲しき・・・」という小説。
 その後、「コレラの時代の愛」について話題が移り、再び朗読から始まった。翻訳では487ページの最後の段落から数ページ後の「君のために童貞を守り通したんだよ」の発言まで。
朗読の途中で高橋さんからそんなに真剣に聞かないで欲しい、老人たちの睦言みたいな場面なのだから、と一言。「コレラの時代の愛」についてはメモもとらずに話に聞き入ってしまったためほとんど書くことがない。
木村さん 「百年の孤独」で神話時代を書き、「族長の秋」で独裁を書き、「愛、その他の悪霊について」で植民地時代を書き、「迷宮の将軍」で解放の時代を書いた。それで19世紀について書かなければと思ったのが「コレラ・・・」になると思う。「わが悲しき・・・」でやっと現代に追いついた。「愛、その他の・・・」では形にならないお話を女の子を凝固剤のように使って形にしている。
高橋さん 「大佐に手紙は来ない」はいい。
木村さん 確かにあれはいい。
全般的には中南米文学の特異性がはっきり表れているのがガルシア=マルケスの作品であること、どの作品も細部が非常に良くできていること、特に今回相次いで訳出された二作については結末も見事なこと、という木村さんの意見に、聞き役の高橋さんが細部でつっこみを入れて行くという構成だったと思う。尚、聞き違い、解釈の違いはあると思うので、その点はご了承下さい。