指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

親と子。

子育てに関して親はできるだけ何ものにもとらわれていない方がいい気がする。実際にはそれはものすごく難しいことなんだけど。
一昨年の夏にある行事があって家人だけでなく僕も半日幼稚園へ行った。有志の親御さんたちが様々なアトラクションや模擬店で子供たちをもてなしていた。そのうちのひとつに子供たちが殺到して長い順番待ちの列ができている模擬店があった。しばらくすれば混雑も収まるだろうからそれまで時間をつぶそうと別のアトラクションの列に並んでいたら、ちょうど後ろに並んだお母さんが子供をなじる声が聞こえてきた。どうやら前述の模擬店の長い順番待ちに並んであと少しで自分の番になるというときに、どういう訳か順番を抜かされそれに腹を立てて並ぶのをやめてしまったらしかった。その子は、確かに腹を立てたのは自分だけど、あそこまで長々と我慢して列に並んだのに順番を抜かされたのはすごく我慢ならない、みたいなことを訴える。でもその親は、順番を抜かされたくらいで怒るあなたの優しさの無さがいけなかったのだ、というニュアンスで、繰り返しその子をなじっていた。要するにこのお母さんは子供の言い分に寄り添うよりは自分が子供に与えたい倫理観の方を優先していた訳だ。
このとき受けた印象がすごく大きかったので、帰ってすぐに家人にも話したし、あの調子ではあの子はきっと問題を持つことになるだろうと思っていた。ありがたくないことに子供と同じクラスの子だった。
最近彼は彼の「デスノート」にうちの子供の死に方を記してそれを子供に知らせたそうだ。幸い子供は「デスノート」の意味がよくわからなかったらしくてさほどショックも受けていず、朝の登園時の会話の中でそう言えばという感じで僕に話したのだった。
この年代は確かに死の持つ意味について興味を持ち始める頃なのかも知れない。子供も死をめぐって日常的にわからないことを尋ねるようになったし、自分にも憶えがあるけどオカルトとか死後の世界とかいうものに惹かれる一時期は誰にでもあると思う。彼には兄がいるので自然にデスノートについても精通したかも知れない。それは既成の物語に習って実現された彼なりの創造的な行為なのかも知れない。
でも全面的にそうとは思えないのは、子供をなじる彼の母親の姿が記憶に残っているからだ。あくまで僕個人の考えだけどあんなに子供を追いつめる育て方をしてはいけない。追いつめれば追いつめるほど子供は常軌を逸して行く。