指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

小説の軽さと紀行文の重さ。

北緯14度 (100周年書き下ろし)

北緯14度 (100周年書き下ろし)

読むのが遅いので午後いっぱいかけて、それから夜になってからも少し時間を割いてこの本を読み終えた。確かに絲山さんの作品としては長い方に属すると思うけど、読むのにそれほど時間がかかったのは文体のせいだと思われた。
帯に書かれた言葉など目に映っても言葉と思わないようにしているので、もちろん小説だと思って読み始めた。だんだんこれはノンフィクションっぽいな、と感じたがそれでも小説の方に無理矢理引きつけて読んで行った。それがどうしてもこれはノンフィクション、という言葉が適当でないなら紀行文と思わざるを得なかったのは、語り手が小説家でイトヤマアキコという名前なのはまだいいとしても、その著書に「海の仙人」や「袋小路の男」があると述べられたところだった。さすがにそれをフィクションと考えるのには無理があった。
それ以前に文体が違った。これは個人差とか相性とかがあると思われるが、絲山さんの小説に関しては文体のスピードと読むスピードと言葉をこちらが了解するスピードとがかなり似通っていて、だからがんがん読み進められるし、大筋では不可解なところはない。それが紀行文になるとそのバランスが崩れてしまい、今どこにいて何をしているのかということを改めて確認しなければならないことが何度かあった。時間の流れ方にもなじめなかった。物語を統御している原理と、事実に即して何か書かれるときの原理とがひどく異なっているかのように感じられた。それが読みにくさと失望に似た思いとに個人的にはつながった。
とは言え、これはマニアックと言えばマニアックな感想なので、あまり広く受け入れられるかどうかわからない。ただ、絲山さんの作品を初めて読むのに、この作品を薦める気にはなれない。絲山さんの真骨頂は別のところにあると思うからだ。
追記
つか、絲山さんのサイトの「Book List」では、この本は「小説」に分類されている。