指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

ドストエフスキーのユーモア。

カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫)

カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫)

カラマーゾフの兄弟3 (光文社古典新訳文庫)

カラマーゾフの兄弟3 (光文社古典新訳文庫)

カラマーゾフの兄弟 4 (光文社古典新訳文庫)

カラマーゾフの兄弟 4 (光文社古典新訳文庫)

自分としてはかなり速いペースでカラマーゾフを読み進めていて四巻目もほとんど終盤に差しかかった。明後日の土曜には、とりあえずエピローグまで読んでしまうだろう。
ドストエフスキーのユーモアについてはそれを指摘している文章を前に読んだことがある。北杜夫さんの「どくとるマンボウ青春期」の中でだ。僕は北さんのこの本がものすごく好きなんだけど、でも若い頃にドストエフスキーを読んだときには自分ではどこがユーモアなのか全然わからなかった。でも今回はフョードル・ミハイロヴィチのしかけた笑いに頻繁に反応している。たとえばミーチャが予審判事と検事の尋問の執拗さにいらだちを隠せずこう言うところ。

「ええ、みなさん、どうかつまんないことは聞かないでください。どのように、いつ、どうして、これだけじゃなくて、あれだけの金が必要になったかなんて、くだらない。こんなふうにやってたら、三巻の本にだって収まりきりませんよ。おまけに、エピローグまで必要になります!」

実際「カラマーゾフの兄弟」は三巻には収まらず、四巻でおまけにエピローグ付きの構成だ。若くしてカラマーゾフを読むことも必要だと思うけどもしかしたら若い頃は読むことにあまりに真面目すぎるかも知れない。作者の手厚いもてなしを存分に楽しむには、馬齢を重ねることもあながち無駄ではないかも知れない。