指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

夏休みの謎。

サマーバケーションEP (角川文庫)
子供の頃の夏休みの魅力というのはうまく言い表すことができない。たとえば海辺での日没とか朝の公園の木々とか昼寝のときに吹く涼しい風とか、そういう風に切り取ってもどうもうまく言えた気になれない。何かこうどう言っても逃げて行くものがあってそれはある特定の形をした情緒のように思われるんだけど、それがすごく個人的なものなのかある程度普遍化できるものかそういうこともよくわからない。ただそれは自分にはすごく大切なものだと思われている。それだけは確かだ。
その夏休みの謎についてこれまでに、ああ、これは随分肉薄しているなと思わされたのは矢野顕子さんの「CHILDREN IN THE SUMMER」という曲で、歌詞は糸井重里さんが書かれている。アルバム「LOVE IS HERE」の一曲目だ。
LOVE IS HERE
歌詞を取り上げて部分的にどうこう言うのは難しいし、機会があったらお聴きいただくのがいちばんいいと思うんだけど、早い話がここで糸井さんは子供に語りかける位置を取っている。と同時にその語りかけられた子供の位置に自分を置いてもいる。歌詞に出て来る君であり僕である子供はだから普遍化されて、聴く者もその位置に引きずり込まれることになる。また誰にでも思い当たる夏休みのあるあるが短く鮮明な形で言葉にされていて、普遍化に引きずり込む力を増幅している。そのせいで自分が感じている言葉にできない夏休みの魅力もある程度までは普遍的なのかなと思わされるほどだ。ただしひとつだけ言っておかなければならないことがあって、それはこの曲で言う子供は暗に男の子を指してるんじゃないかということだ。その理由は歌詞を全部ご覧いただければわかると思う。
それで「サマーバケーションEP」だけど、古川さんの作品も単行本の半分以上は読んで来たんじゃないかと思うけど、この作品がいちばん好きだと思った。理由は夏休みの謎を古川さんも共有していてそれをはっきりさせることがこの作品の大きなモチーフじゃないかと思われたからだ。語り手は小さな障害を持っていてその障害のためにこれまであまり学校に行くことができなかった。つまりこのお話は、すでに大人と言ってもよい語り手が初めて体験する夏休みを描いている。でもそれではここまで触れて来た個人的に感じている夏休みの魅力から、語り手は永遠に切り離された場所にいるしかないように思われる。子供の頃夏休みを体験することによってしか、僕の言う夏休みの魅力は手に入らないからだ。でもそうであったとしても夏休みを夏休みらしく体験したいという語り手の抱く願いが、切なさの感じを伴ってこの作品の大きな魅力を形づくっているように思われる。また語り手に同行する登場人物のうち誰ひとりとして自分の過ごした夏休みを振り返ったりしない。語り手に寄り添って誰もが現在進行形の夏休みにのみ心を傾けている。そこに優しさの感じが現れて語り手の切なさと呼応する。それがとてもよかった。
夏休みの謎は結局解けない。でも解けない謎が忘れ去られることはない。