指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

「変身」の身体性。

フランツ・カフカの「変身」についてこの作品が見事なのは虫に変身したグレゴール・ザムザを身体性から描いているからだという意味のことを吉本隆明さんが書いてるのを読んだことがある。ええと、「ハイ・イメージ論」だったかな。違ったらごめんなさい。
今度村上春樹さんの「恋するザムザ」を読んでそれを思い出したのは「恋するザムザ」の特に前半を覆っているのはザムザが自分の身体に感じる違和感だからだ。後半も自我(この作品のザムザに自我があればの話だけど。)を裏切る身体性がザムザを襲う。彼女とのコミュニケーションの核となる身体的反応だ。ザムザ自身まだその意味を理解できていない。彼女はその意味を理解していると言ってもいいし、本当は理解していないと言ってもいい。
それよりも重要だと思われるのはザムザが二足歩行の人間という現在の自らの姿に対して覚える違和感だ。この作品が始まる直前までザムザは虫だったと考えればそれが不自然じゃないとわかる。と同時にこの作品のザムザがあれを恐れている理由もわかると思う。・・・久しぶりに酔っぱらって書いた。