指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

語りを幻視する。

チャイナ・メン (新潮文庫)

チャイナ・メン (新潮文庫)

作者は1940年、カリフォルニア州で生まれたと書かれている。作中に出て来るストックトンという町はおそらく実在のものでそれはカリフォルニアにあり実際に作者の故郷であるように思われる。そういう点でこの町はたとえばガルシア=マルケスの作品に出て来る架空の町マコンドとは性格の異なるものだ。またこの作品に出て来る中国人である祖父母や父母、あまたのおじ、おば、兄弟、姉妹、それから「わたし」自身も実在のもののように感じられる。「わたし」は小説的な変容を多少は受けていたとしてもかなりの部分作者自身と等身大のように思われる。そういう意味でもたとえばガルシア=マルケスの「百年の孤独」とは構造がだいぶ異なっていることになる。でもこの作品を読みながら何度もガルシア=マルケスの作品を思った。作者はおそらくこの作品の多くの部分を実在する近親者の語りからつくり上げているが語りを作品に起こすのには幻視する過程が不可欠だからだと思われる。幻視し想像し意味づける。おそらくそれをくぐり抜けることによって事実はいったんばらばらに解体され、様々な要素が作者独自の光学に基づいて腑分けされ分類され、新たな要素をふんだんに盛りつけられて再構成される。それがガルシア=マルケスの作品のような豊穣な語りの感じを呼び起こしているように思われた。短編(もしくは短編と中編?)連作の形をとっていて初めはやや取っつきにくいかも知れないけど文体にうまく乗れると興味深く読み進められると思う。