指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

新しい「あの人」像。

 様々な人が出て来る。文学者。兵士としての文学者。兵士。戦争の片棒を担がされそうな研究者たち。その研究所で育てられている現地人とニッポン人の混血の男の子。南方に送られ戦後帰国する元慰安婦。反逆罪で捕まる主義者たち。風の谷のナウシカ。「教育勅語」をつくった人々。地震学者たち。核兵器開発に携わる学者たち。そしてあるところまでは現人神であるところからは人間という「あの人」。あるいはフィクションとしてのその同じ「あの人」。幼かったその「あの人」に講義をする学者たち。作者にとても似た語り手も顔をのぞかせているような気がする。その他僕が忘れてるだけでもっとたくさんの登場人物がいたかも知れない。それら夥しい数の人々がそれぞれの物語を生きている。と書いて来ると一見まとまりのない作品に思えるかも知れない。でも彼らの全員に当てはまる共通点がふたつある。ひとつは近いか遠いかは別としてどこかで「あの人」につながってるということだ。つながってるというのが言い過ぎならなんらかの形で「あの人」の影響を受けずには生きられないとでも言うべきか。それがどんなにかすかなものだったとしても。もうひとつは全員が彼女ら彼らなりの哀しみを背負って生きてるということだ。それは全編の中心にいる「あの人」も例外ではない。異なってるのは「あの人」の哀しみが他のすべての人たちに哀しみを与えてしまっているが故の哀しみなのに対し他のすべての人たちの哀しみは「あの人」から与えられた哀しみだという点だ。それが「あの人」の存在感にこれまでになかった形で血を通わせているような気がする。ここにあるのは僕らがこれまで一度も目にしたことのなかった「あの人」の像なのかも知れない。自分ひとりのためだけにあるスタジオに座るDJとしての「あの人」の姿をこれまで誰ひとりとして想像し得なかったように。何度も書いてるように僕はこの作者の描く透明度の高い哀しみがとても好きだ。それはデビュー作の「さようなら、ギャングたち」から途切れることなく続いている。本作でも神島での「あの人」とミナカタクマグスとの会話のシーンなどその哀しみの感じは随所で存分に堪能できる。それらを読んでいて何度か泣きそうになった。その上どこを読んでもおもしろい。この本ももう少し安かったら手に入れて再読したい。という訳で「ギケイキ3」と並び購入希望リスト入り。