- 作者: 三崎亜記
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2005/11/26
- メディア: 単行本
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「となり町戦争」のときにもちょっと気になったのは、物語が書かれ過ぎているのではないかということだった。そんなに最後まで書かないでもう少し前の時点でやめにし、替わりに余韻みたいなものを含めることができればその方がずっといい作品になるように思われた。ただそれは本当に「ちょっと気になる」程度だった。それをたてに作品全体を駄目と断ずるほどではない気がした。
でも「バスジャック」所収の特に最初の何編かは、星新一のショート・ショートを思わせるオチの付き方が作品をぶち壊しにしているような気がした。別に星新一のショート・ショートがいけないと言っている訳ではない。どれもよくできているし自分自身この前も読み返して楽しかった。ただ、今更そういうことをやる必要が、新人の作家にあるんだろうかと思うだけだ。
たとえば一編目の「二階扉をつけてください」。途中まではものすごくいいと思う。「二階扉」という謎の不気味さが伝わってくるし、「二階扉」業者の胡散臭さもいい。それがその地方の因習みたいなものに支えられていて、古くからの住人はみんなその存在をわきまえているのに新参の語り手にはそれが何だかわからない、そういう共同体の持つ権力みたいなものの不吉な感じとそれに対する戸惑い、でも結局事なかれ主義的にそれに従ってしまう恐さもすごくよく描かれている。でも、設定は上手に書き上がった、さてこれからどうなるのだろうと期待を込めると、ばたばたとオチが付いて終わってしまうのだ。
ふくらませればふくらませられるアイディアをいくつも込めながら、それがオチという一点に収斂して行ってしまう様は、正直言ってものすごく味気ない。せっかくのアイディアも皆このオチのためだったのかと思うと、アイディア自体つまらないもののようにさえ思えてくる。
「となり町戦争」の「ちょっと気になる」点が実は作者の地金だったのか、うーん、そうだったのかあ、という気がした。作者はこの方法を捨てた方がよいのではないかと思う。