指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

心を鬼にする。

家人と子供が家人の実家に帰省した。その間に普段片付けられないところを片付けたり掃除したりするのが恒例になっているが、今週は仕事がひどく忙しく疲れも溜まっている気がしたのでまあよそうじゃないかと考えていた。ふたりを送ってから帰宅すると、よっこらしょと座った瞬間からめらめらと片付け欲が燃え上がり始めた。パソコン回りやテレビ回りのどうしても増えて行く周辺機器やメディアや訳のわからない小物(大半が子供が家に持ち込んだもの)を片付けた。いくらかさっぱりしたのでビールを飲んでから昼食をとり、疲れていたので少し眠った。起きたら今度は子供の服を入れてあるクローゼットみたいなのがひどく気になって来た。子供の持ちものというのは本当に捨てづらい。色あせたTシャツ一枚でもその小ささがいとおしく思い出もあるからついつい捨てるのを先延ばしにしがちだ。ところが子供というのはがんがん大きくなって行くので、より大きなサイズのものを定期的に買わなければ立ち行かない。当然小さくなった服など後生大事にとっておいてはすぐに収納スペースからあふれ出してしまう。実際あふれがちになっていることに少し前から気づいてはいた。家人と僕とを比べたら非情になるのに向いているのは僕の方だから、子供の服の大量処分は僕の役目と考えるしかない。
メーカーによっても違うけど子供の服のサイズは130と140の間くらいで、前者も着られないことはないけどもう少しで後者がジャストサイズになりそうなところだ。120だとつんつるてんなので、思い出につながる回路を遮断して機械的に120の服は捨てて行った。100のサイズの下着までとってあった。ところが110のサイズは一着も出て来ない。成長が速い時期があって100から一足飛びに120になったんだろうか。そういうこともあったかも知れない。などど考え始めるとどうしても感傷への入り口が開いてしまうので心を鬼にして捨てに捨てた。クローゼットが半分くらい空いた。
最後に奥の方からビニールの包みが出て来た。開けてみると子供が幼稚園のときに毎日背負って通園した園指定のバックパックが入っていた。その小ささに驚いた。中には園指定の通園服や体操着やお弁当袋や箸袋やそういう園で使ったこまごましたものが入っていた。小さかった子供の記憶と、家人がそれを大切にバックパックに収めてしまい込んだときの思いの両方が押し寄せて来て胸が詰まった。鬼も降参だ。
その子供は、今日は園指定のバックパックと比べると長さで三倍、容積で言えば優に五倍は超えるだろうアディダスバックパックに自分の荷物を詰め込んで、重い重いと言いながらそれでも別に機嫌を悪くする訳でもなく背負って新幹線のホームまで歩いて行った。