完訳フィッツジェラルド伝
どうせ画像が無いからこれで。アンドルー・ターンブル著、永岡定夫、坪井清彦訳。
評伝なんて本当に読まない。ドストエフスキーについていくつか読んだことがあるだけかも知れない。そう考えて来てフィッツジェラルドとドストエフスキーの生涯に似た雰囲気があることに気づいた。どちらも困窮のため編集者に前借りし、言わば金のために書いた。またしばしばヨーロッパで書いた。前者は飲酒癖に、後者は賭博癖に苦しめられた。またふたりとも女性に救いを求めた。でも前者の妻がゼルダで後者の二度目の妻がアンナだったことは作家たちの運命をかなりニュアンスの異なるものにした。フョードルが大筋ではアンナに救われたことはおそらく疑いの余地が無いだろう。
評伝の場合、著者がどのような位置にいるかということが割と大きな問題になる気がする。たとえばドストエフスキーの場合、その死後アンナが書いたものは公平性に欠けるという指摘を読んだことがある。要するに夫の肩を持ち過ぎということだと思われる。ターンブルは1932年、フィッツジェラルドがボルチモアに移り住んだ際の家主の子供で当時まだ11歳だった。ゼルダは同市にあるジョンズ・ホプキンス大学病院に精神分裂症で入退院を繰り返していた。(関係ないけどジョンズ・ホプキンス大学と言うとジョン・バースを思い出す。)ターンブルにとって本書の白眉ともなるべきスコットとの直接の交流の記述は、充実していて短い間でのスコットの変化も鋭く捉えられている。そこには直に接する立場に置かれたことがなければ実現することのできなかった真実味がある。そこでスコットは「評伝」という物語の皮膜を切り裂いてこちら側に抜け出て来る。そして物語に矛盾することを辞さずにターンブルに話しかけ、彼を魅了し、その崇拝を勝ち得ている。個人的にはこのあたりの記述がとても貴重に思えるし好きでもある。ターンブルはその後スコットと同じプリンストン大学を経てハーバード大学院に進み学術博士号を受けているそうだ。どう控えめに言っても僕なんかが彼の書くものに疑いを差し挟めるような人物ではない。
でもたとえばスコットとゼルダの間にあった愛憎はそれを体験した者にしかわからない何かを必ず秘めているものだと思う。フィッツジェラルドに肩入れしている限り多かれ少なかれ悪者っぽい位置に押し込められるヘミングウェイは、スコットに向かってゼルダを諸悪の根源みたいに言ったということだけど、それが正しかったとしてもふたりの間では全然正しいとは言えない、そういう磁場を持っているのが夫婦というあり方だという気がする。
ゼルダは病院からスコットへ向けての手紙にこう書いている。この手紙は本当に心を打つ。
いとしい、いつもいとしいスコットさま
おいでくださっても、お迎えするのがこんな抜け殻でしかなくて、そのことも残念でなりません。(中略)
あなたを愛しています、とにもかくにも、このわたしなり愛情なり、いのちさえ、もうないにしましても
あなたを愛しています。
ゼルダの精神異常についてはスコットの過度の飲酒が一因とも言われている。スコットは飲み過ぎて(もっともしらふの時でもそういうことはあったようだけど。)奇矯な言動をし長いことゼルダを怯えさせて来たからだ。それでもゼルダはスコットを愛していた。スコットもまたゼルダを愛していた。アーネスト・ヘミングウェイは自殺した。
そういう訳でドストエフスキーの評伝の中ではアンナ・ドストエフスカヤの書いたものがいちばん好きだ。