指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

物語化がはらむもの。

 物語を味方につけると世界像の理解がすごくうまく行くようになるんじゃないかと日頃から個人的には考えている。世界像と言ったのは苦し紛れで要するに我々を取り囲むこの世界のすべてのことを指している。自然でも経済でも心理でも歴史でもなんでも構わない。物語化は認識にとってとても有効な手段だ。ただし物語化がはらむ弊害というのもある。それは実像よりも物語の方を重視することから起こる。あまりにうまく説明がつくとできた物語に満足してしまったり酔ってしまったりしてまだその先にあるかも知れない実像に迫る努力をそれ以上続けることが妨げられる。ということがあり得る。だから物語を扱うときにはやはりそれ相応の注意というか気づかいというかある種の危険をはらんでいることを常に意識し続ける必要がある。でないと実像を見誤ってるのにそれに気づかないという事態が起こりうる。
 本作は俳人にして僧の種田山頭火に関する評伝と言っていい。評伝というのはまんまある人生の物語化ということだ。だからそれを扱う作者の手つきにもある種の用心深さがこもっている。個人的には知らなかったんだけど山頭火の母親は山頭火がまだ幼い頃井戸に身を投げて自殺している。そして本人は井戸から引き上げられた遺体を目にしたと言いそれについての描写もしているらしい。これまでの山頭火に関する本はそのことをとても重要な事件と見なしてると作者は言う。どの作品でもかなり最初の部分でこの事件が触れられていてそれが山頭火の生涯を決定づけている。ということにされている。でも作者は三百ページほどあるこの本の九十ページを過ぎるまでこのことに触れてない。そしてその理由をこんな風に書いている。

(前略)
 じゃあなんでそれを先に言わぬのかというと、それを先に言った場合、「あ、なるほど」とそれですべてを納得してしまい、それから先はなにがあっても「母の自殺」でなにもかもを片付けてしまいそうな気がしたからである。
(後略)九十八ページ

 先ほど述べた「あまりにうまく説明がつくとできた物語に満足してしまったり酔ってしまったりしてまだその先にあるかも知れない実像に迫る努力をそれ以上続けることが妨げられる。」というのがこれだ。この危険についての警戒心を常に手放さないというのがこの作品の特徴のひとつと言える。
 特徴はもうひとつある。それはこんなところに表れている。

(前略)
 その重要なこととはなにか。
 はっきり言おうか。言おう。
 俺にはそれがわからない。
(後略)二百六十ページ

 作者はわからないことをわからないと数か所ではっきり述べている。この手の述作の場合自説の正当性を確保するためになんでもわかってることにして書かれるのが普通なんじゃないかと思う。でもそうではない。ここにも安易な物語が完成してしまうことに対する作者の警戒心が表れてるように読める。
 物語化は有効だし手軽ではないにせよ便利な手段だ。しかしそこには落とし穴も潜んでいる。そのことを熟知している点において作者の姿にとても共感した。それから酒との戦いだった山頭火の人生に作者も共感してるしそこは僕も共感を禁じ得ないところだった。僕はある古い傷を心に負っていてその痛みから逃れるために酒の力を借りてると思っている。山頭火と同じように。でもそれもまた安易な物語のひとつに過ぎないのかも知れない。