指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

歩かなくなった道。

前の会社を辞めて早いもので六年が経った。六年前の秋から冬にかけてハロワに通っていた。月に一回は失業手当をもらう手続きをしに。また希望の職場が見つかったときには紹介してもらうために。歩いて行けないことはなかったので小一時間かけて歩いて行った。今だから言うけど、と家人は言う。ハローワークに出かけるときはいつももう二度と帰って来ないんじゃないかって思った。それくらい悲壮な感じがしたんだろうと思う。それはわかる気がする。でも帰らない訳はなかった。他に帰るべきところなどない。自殺でもするのでなければ。でも自殺は少なくとも一度も考えなかった。妻子を残してひとりで死ねる訳がない。
塾を開いて五年半、別に避けている訳ではないんだけどそのハロワへの道を滅多に歩かなくなった。小学生だった子供と毎週散歩していた頃何度も通った道だ。途中に結構大きな商業施設があってそこへ行くためによくその道を使った。地下鉄でもバスでも行けるんだけど子供と僕は歩いた。今でもその商業施設自体にはたまに行く。でも家人とふたりなので歩かずバスや地下鉄を使う。だからその道を歩くことはほとんどなくなった。そこを歩く必要がもともとなかったとも言える。
途中においしいパン屋さんがあったのを思い出して家人が懐かしがりふたりで歩いて行ってみようということになって先週出かけた。途中と言ってもハロワへの全行程の十分の一ほどの道のりに過ぎない。道の両側にある店は結構様変わりしていた。どのくらい歩いてなかったのだろう。二、三年は経ってる気がした。そしてそこにはハロワに通っていたあの冬の心持ちがまだリアルに染みこんでいた。重く悲しいのにどこか軽々しくて乾いた感じがする。その独特な感情はなかなか捨て去ることができないように思えた。でもそれをなんだか懐かしいと思う程度には回復できている気がした。回復できてよかったと思った。

分解掃除。

少し前にタグホイヤーの腕時計がまた止まった。今度こそ電池交換かと思って池袋の量販店に持って行くと電池を交換しても動かないと言う。分解掃除とそれからもう何年も前から動かなくなっていた竜頭の交換を勧められる。古い時計なのでパーツはもうないと聞いてるんですがと言うと問い合わせてくれると言うのでお願いしてみることにした。少し経って見積もりの電話がかかって来てパーツはあったので分解掃除とパーツ交換で合わせて三万円ちょっととのこと。安くはないけど三万円で買える時計でもないのでこれでまた何年か使えるならいいかと思って承諾した。それが今日できあがって来た。元々がマット仕上げだったので新しい竜頭だけがぴかぴか光ってるけど腕時計をしない生活というのはなかなか不便だったのでそれから解放されてよかったと思う。アイルトン・セナが亡くなって24年、このタグホイヤーが彼への追悼の思いを担って来たし、これからも担って行く。

家人の本の売り上げ。

家人が電子書籍を出してもらってるある出版社は数ヶ月毎にその間の売り上げ冊数を知らせて来るらしいんだけど作者への支払いが一定額以上にならないと支払いが延期される。それはまあ別に構わないんだけど(たいてい最高でも数百円の収入にしかならないから。)いちばん最近の期になって突然その前期の数百倍もの売り上げになったと知らせてきて支払いが発生することになった。さすがに驚いたらしくて本人が理由を調べたらどうもその作品を扱う電子書籍のサイト数が増えたということらしかった。ということは潜在的には家人の作品を読んでみたい読者が結構いて、ウェブ上への露出度が高まったからそういう人たちを掘り起こせたということなんだろうか。常に自己評価の低い彼女は僕のこの説にはあまり納得していないようだけど控えめに言ってもそういうことなんじゃないかと思う。どんな作品を書いてるか知らないしもちろん読んだこともないけど、家人の性格や価値観などから想像するとおそらくかなりストーリーのしっかりした作品を丁寧に書いてるような気がする。ひいきの引き倒しかも知れないけど。
編集者さんとか同じ仕事をする人たちとかのランチに出かけることがあって話をしてくると、中には電子書籍は収入が少なくて割に合わないと言う人もいるらしいんだけど家人はとにかく知名度を上げるためにはどんな仕事でも引き受ける考えらしい。単純に収入だけを考えたらパートでもした方が効率がいいと思うけど前にも書いたかも知れないけど外に働きに出るというのがあまり向いてないので誰にでもできる訳じゃない仕事をせっかく始めることができたんだし徐々にでも売り上げが伸びたらいいと思って見ている。

捨てる神あれば。

11月いっぱいでふたりの生徒さんが塾を辞めることになった。ひとりは小学六年生の男の子で理由はうちで勉強しないこと。でもそんなこと言われても塾としては困る。大体小六でコンスタントにうちで勉強する子なんているんだろうか。中学受験をする子を別にすれば宿題が出るからいやいやそれだけはやるというのが実情ではないかと思うんだけど。結構長く通ってくれていた子なんだけど仕方ない。もうひとりは中三の男の子で理由は高校受験をやめてなんか特別な学校に推薦入学するから。この子はもともとちょっと変わっていて塾に来ても自習したいということで授業は全く聞かずにひとりでなんかのテキストを開いてたり寝てたりしていた。質問なんて一度もされたことがない。来る意味ないじゃんと思ったけどそれでいいということなのでほっといた。おそらく成績もかなりひどかったんじゃないかと思う。それは先の小六の子にも当てはまる。塾を辞める子というのは大抵成績が悪い。それを塾のせいにしたいのはわかるしそれは幾分かは正当なんだろうけどでもより多く本人のせいだと思う。うちの塾でめきめき成績が上がる子というのもいるからだ。
それからもうひとり小学五年生の女の子がちょっとあやしかった。同じ学年の男の子ふたりと一緒に受講してたんだけど(ちなみに三人とも学校は一緒で友だちどうし。)、彼女が問題を解くのがちょっと遅かったりすると男の子たちが早くしろよみたいなことを言う。そういうことを言うのはやめようと諭してもやめない。悪気がなさそうなのが余計にたちが悪い。おそらくそのせいだと思うんだけど彼女が休みがちになった。デリケートであまり自信のなさそうな女の子に見えるけど僕に言わせれば三人の中でいちばん頭がいい。この仕事で二番目にやりがいを感じるのが頭のいい子を教えることだ(ちなみにやりがい一番はできない子ができるようになること。)。男の子ふたりによると学校で彼女はもう塾を辞めると言ってるそうで、僕になついてくれているように思えたこともあってそれは残念だなと思った。また本音を言うと先の二人で月四万円以上の減収で彼女も辞めると合わせて六万近い減収となってそれは結構深刻な事態なので避けたいという思いもあった。それでダメ元でお母さんにメールを書いて、男の子たちと一緒の授業が嫌なら時間帯をずらしてひとりで授業してもよい旨伝えた。そうしたら来ると言う。できない子が辞めるのは仕方ないけどできる子が辞めるのは精神的なダメージも大きいのでそれをつなぎ止められてよかったし、減収額もやや減ってその意味でもよかったと胸をなで下ろしていた。そしたら。
11月も半ばになって新しく中一の生徒さんが塾に入ることになった。お父さんが電話をかけてきたのが10月半ばくらいで一度話をしに来た後音沙汰がなかったので諦めていたら時間割が他の中一の生徒さんと合わないのだが個別に見てもらえるかとほぼ一ヶ月後に電話があったので引き受けることにした。そして先週になってこの春一度辞めた小学生のお母さんが尋ねて来てもう一度通わせたいのだが大丈夫だろうかと言うのでこれも二つ返事で承諾した。おかげで減収は一万円程度にまで縮まった。この仕事は本当に捨てる神あれば拾う神ありだ。もしくは禍福はあざなえる縄のごとし。そうは言っても今年度は辞める生徒さんが激減して大変助かっているんだけど。

ボヘミアン・ラプソディ。

2010年に一度書いてるんだけど僕が洋楽を聴き始めたのは小五の時できっかけは日曜の朝のTBSのラジオ番組だった。番組名は覚えていない。小島一慶さんと久米宏さんがさいころかなんかを振って小島さんが勝つと洋楽のベストテンから一曲、久米さんが勝つと邦楽のベストテンから一曲かけるルールになっていた。歌謡曲が何より好きだったので初めは久米さんを応援していたんだけど小島さんが勝つと強制的に洋楽を聴くことになってそれが続くと洋楽の中にもお気に入りの曲ができた。今思い出せるのはジョン・レノンとかポール・マッカートニーとかカーペンターズとかでその中にクイーンもいた。初めて聞いたのは「キラー・クイーン」で今調べると1974年10月11日のリリース、僕は11歳、小五だったのでぴたり記憶と合っている。フレディー・マーキュリーの裏声、おそらくなんらかのエフェクトのかかったコーラス、すごくオリジナルなメロディー・ライン、思いがけない展開、ギター、ドラム、よくわからないけどなんかかちかちいうパーカッションのようなもの、曲の隅々まで聴いて子供心にすごく気に入った。それからもたまにランキングするクイーンのシングルはすばらしかった。「ボヘミアン・ラプソディ」、「マイ・ベスト・フレンド」、「愛にすべてを」。ラジオを録音しては繰り返し聴いた。
おとなになってからクイーンのベストを買ったんだけどあれはいつ頃のことだったろう?数年前(7、8年前?)にクイーンのベストが割と大きな話題になったことがあったけどそのときにはすでに持っていた。収録曲は話題になったベスト盤とはちょっと違っていて残念ながら僕のには「ラジオ・ガ・ガ」が入ってないんだけど塾を始めてからもたまに取り出して聴く。
この前子供が映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観たいという友だちが高校でやっとひとり見つかったから一緒に見に行くと家人に映画代をねだったそうだ。その友だちというのもかなり奇特な人だと思うけどなぜうちの子がそんなもの観たいのかよくわからなかった。すると僕が聴いてるのを傍から聴いてて関心を持った由。アニソンと声優さんのアルバムしか聴かないのかと思ってたらそうでもないらしい。映画から帰ってきてベスト盤を貸して欲しいというので貸した。毎日聴いているみたいだ。
ところでやはりラジオで聴いていた子供の頃すごく気に入っていた曲にキャロル・ダグラスという女性シンガーの「恋の診断書」というのがあるんだけど今調べたらシングル・レコードが結構売りに出ている。レコードじゃ聴けないから買わないけどそんなものまであるインターネットというのはやっぱりすごい。調べさえすれば大抵のものは手に入るのかも知れない。この前は「あしたのジョー2」のコンプリートDVDボックス買ったし。これもかなりすばらしかったです。家人も気に入ってくれた。

病欠。

何日か前に塾で生徒さんが突然吐いてしまいその片付けをした。次の日だったか迷惑をかけたと親御さんが手土産を持ってやって来たので聞いたらおなかに来る風邪ということだった。ノロ・ウィルスとかだったらやだなと思っていたのでひとまず安心した。おとついになって仕事を終えて帰宅すると食欲が全く無い。それでも家人が出してくれた夕飯は食べようと思えば食べられたのでちょっと無理して食べた。ところがそれを入浴後にきれいに吐いてしまった。それでも全く空腹を感じない。のみならずなんだか熱っぽいので測ると37度ちょっとある。でもいつも飲んでるロキソニンはたまに胃に来ることがあるので飲むのがためらわれた。とりあえず胃を優先して胃薬を飲んで寝た。午前二時に目が覚めるとものすごく胃が痛い。もう一度胃薬を飲むと少しよくなったが一時間後に元に戻ってしまった。これは胃酸の出過ぎじゃないかと思ってトイレで胃液を吐けるだけ吐いてからもう一度胃薬を飲む。すると痛みは治まって朝方までうとうとした。六時に例によって家人が子供のお弁当をつくるために起きて来たので、もう少し強い胃薬を出してもらい吐き続けでのどが渇いたので水を何杯か飲んだ。眠れないのでベッドでごろごろしていると9時近くになってさすがにおなかが空いてきた。レトルトのおかゆがあると言うので温めてもらい梅干しと一緒に食べると特に吐き気もなく胃に落ち着く。熱を測ると8度ちょっと。体の節々と背中、ふくらはぎなどが痛むのでマッサージしてもらう。行きつけの医者に行くべきか迷ったけどちょっと出かけられる感じがしないので午前中は安静にしていた。また塾は無理そうだったので保護者向けにメールを一斉配信して休む旨を伝えた。昼食にも念のため消化の良さそうなものを食べ昼寝から起きると胃の方は大体よくなっていて熱だけがつらかった。医者というのは億劫でも行っておいた方が後々楽になることはわかりきっているので夕方になって重い腰を上げて出かけた。生徒さんの話をすると、うつされたねと言われ胃腸炎という診断で薬が処方される。夕食は普通にパスタを食べたけど何の問題もない。主に胃と腸の薬が出たが厄介なのは熱なのでとんぷくとして三回分だけ処方された解熱剤を夕食後と今朝の朝食後に飲んだ。今朝はまだ7度ちょっと熱があった。昼食後昼寝して起きるとまだちょっと熱っぽいがもう一日休むと振替授業の日程を調整するのが大変なので保護者向けに今日は授業をする旨メールを一斉配信した。それで今教室で授業の合間合間にこれを書いてるんだけど熱はすっかり下がったみたいだ。
と、ここまで書いたのが10日土曜日の夕方。仕事を終えて帰宅すると今度は家人が食欲がなくて微熱があるということで僕のがうつったように思われる。僕は胃の方はすっかりよいのでまだ何日か分ある薬を家人に譲りそのせいか家人に吐き気は訪れなかった。ただ今日12日まで微熱が続いている。熱のためにはロキソニンを飲んでいる。僕も木曜日に発症して今日現在まだ微熱が下がりきっていない。地味に、結構厄介な病気にかかってしまった気がしている。

移り変わる「本当」を求めて。

小説かと思ったらほぼエッセイと言うか考察。作者は最近考察を小説で書いたり小説を考察で書いたりしている。でもそれは詩のような小説でデビューしたこの作者には似つかわしいのかも知れない。テーマをひとことで言えば移り変わる「本当」を求めて、ということになる。それもまたこの作者のいつもの姿勢だ。「本当」は移り変わって行く。時間と共に、あるいは時間の中で生起する様々な出来事と共に。特にこの作品に色濃く影を落としているのは「あの日」、つまり2011年3月11日だ。
なので初出は古く2012年までに書かれたものの集まりだ。それらを集めて今一冊の本として出す意味が今ひとつわからないんだけど作者としては何か思うところがあるのかも知れない。なんだか読んだことのある章も個人的には含まれていた。もうひとつ個人的なことを言えば戦後文学というのには確かにあまりなじみがない。椎名麟三埴谷雄高だけは結構読んだけどそれはドストエフスキーに影響を受けた日本の作家という理由があったからで、戦後文学の一翼を担った作家という意味ではなかった。太宰治も読んだけど明らかに戦前から活躍していた作家だし。武田泰淳とか野間宏とか敬して遠ざけていた感が強い。それがなぜなのかちょっと考えてみたいと思った。

読みやすいブローティガン。

愛のゆくえ (ハヤカワepi文庫)

愛のゆくえ (ハヤカワepi文庫)

新潮文庫版を随分前に読んだんだけど最寄りのブックオフでこのハヤカワepi文庫版を見つけて何気なく手に取ったら解説が高橋源一郎さんだったので即買い。ちなみに訳者は両方とも青木日出夫という方なのでほぼ同じ訳だと思われる。例によってストーリーは全然覚えてなくてヒロインの名前くらいしか記憶になかった。だからこのアフェアがどのような結末になるか興味津々で読んだ。物語としては最近読んだこの作者の二作に比べると圧倒的にまとまっている。もちろん比喩はやや独創的に過ぎるし会話も時にアクロバティック過ぎるように思われるけどそうだとしても。むしろそうだからこそこの作者らしさを感じ取ることができる気がする。そういう意味でブローティガンの作品の中では比較的読みやすくしかも作者の個性の質を存分に味わえる作品になっていると思う。高橋さんの解説は哀しい。また訳者あとがきと高橋さんの解説の両方共がこの作家の自殺から説き起こされていることはきっと偶然ではないのだろう。

読みづらい訳。

大渦巻への落下・灯台 ポー短編集? SF&ファンタジー編 (新潮文庫)

大渦巻への落下・灯台 ポー短編集? SF&ファンタジー編 (新潮文庫)

読みづらい訳(やく)ではありません。訳(わけ)です。
ポーの作品は多かれ少なかれ読みづらさを感じさせずにはいない。今回読んだ新潮文庫版は、前の二冊が十年ちょっと前、この作品が三年ほど前に出たもので訳は古くない。でも特に最後の一冊はかなり読みづらい。これは自分のこらえ性がなくなってきたことがいちばんの原因のように思われる。また若い頃の話で申し訳ないんだけど作品に対する尊敬の念と言うか読んでわからないのは自分の読解力のせいだという思いが完璧に近く強かった。だからわからなければわかるまで読み返すしそれは作品の部分に対してもそうだったし作品全体に対してもそうだった。でも今はちょっとわからないといいや別にわかんなくてもという感じでどんどん先へ進んでしまう。当然作品から受け取るものも小さくなるはずなんだけど特に気にならなくなった。そんなに努力して本を読んだりしたくないと思っているようだ。
ただそれだけとも思われなくてやはりリアリティーに対する考え方、感じ方が170年前と今とでは随分違うんじゃないかという気もする。頭の中にあるなんらかの構造が決定的に異なっているように感じられる。たとえばブローティガンもわかりづらい作家だと思うけど少なくとも何が書いてあるかは読み取ることができる。確かにそれが意味していることは読み取れない場合もあるかも知れない。でも書いてあることは全部わかる。ポーの作品ではしばしば何が書いてあるかがわからない。これはメルヴィルの「白鯨」を読んだときにも感じたことだけどどこに視点がありどの角度から何をどのように見て書いているのかが全くわからないということが起こる(ただしこれは僕の想像力が欠けている事態をも指しうる。)。描写と時間の流れの関係もよくわからないことがある。この点でポーのわかりにくさとブローティガンのわかりにくさは本質的に異なっている。
一編だけスティーヴン・ミルハウザーっぽい作品があったんだけどなんとこれはノンフィクションということだった。たまげた。でもポーは多くの作家に影響を与えているということだからミルハウザーも影響されているのかも知れない。

その人の文体。

ガルシア=マルケス「東欧」を行く

ガルシア=マルケス「東欧」を行く

ガルシア=マルケスの書いたノンフィクションというと「ジャーナリズム作品集」とか「戒厳令下チリ潜入記」とかあとコロンビアの誘拐について書かれたものなどを読んだことがある。「幸福な無名時代」なんていうのもあったか。でも読んだのはいずれもかなり昔でどんな感じだったか覚えていない。この本が出ると知ったときもどちらかと言えば自分はこの作者のフィクションが好きなのであってもしかしたら読んでがっかりするような作品なんじゃないかという気がした。でも読み始めてたったの一ページでそんな不安は霧消した。そこにはガブリエル・ガルシア=マルケスにしか書けない文章があったからだ。それはノンフィクションの文体と言う以上にガルシア=マルケスの個性に貫かれた文体だった。ここに収録された文章が書かれたのは大体1950年代の後半のことらしい。最初の短編集「落葉」に収録された作品群が書かれたのが1947年から1955年の間ということなので(あまり反響はなかったらしいが。)、すでに作者はフィクションのための文体をつくり出していたことになる。それが、このノンフィクションの文体にそれほど違和感を抱かせない原因となっているように思われる。もちろんたとえば「百年の孤独」と「迷宮の将軍」では文体はかなり異なっていた覚えがあるけど、それでもこの作品も含めてどの作品にも紛れもない作者の刻印が捺されていると考えていい。
それから余談なんだけどこの本の底本がよくわからない。コピーライト表示を見ると「Da viaje por Europa del Este by Gabriel Garcia Marquez Copyright 1983 by Gabriel Garcia Marquez (以下略)」とあるので1983年に出版されたのかと思ったら、「訳者解説」にはこうある。

(前略)
 本書を訳してみようと思ったのは、新潮社出版部の冨澤詳郎氏からこのような本がスペイン語圏で改めて出るとのことですが、一度目を通していただけませんかと依頼されたのがきっかけだった。(後略)

残念なことにこの「訳者解説」には日付がついていないので訳者がこれを訳したのが1983年当時だった可能性は捨てきれないが、それを今年になって出版するというのも現実的には不自然な話だ。だとすると底本はどれなんだろう。どうでもいいかも知れないけど気になる。

ええと。

モルグ街の殺人・黄金虫 ポー短編集? ミステリ編 (新潮文庫)

モルグ街の殺人・黄金虫 ポー短編集? ミステリ編 (新潮文庫)

あまりにも有名な「モルグ街の殺人」、「盗まれた手紙」などが収録されている。この二編は初めての推理小説という意味ではその功績は計り知れないと思う。少なくともオーギュスト・デュパンの存在無しにはたとえばシャーロック・ホームズの人物像はあり得なかったと思われるほど共通するものがある。でも今読むとちょっと無理があるんじゃないかという気がする。ええと、それってマジで言ってんの?という読後感になってしまう。収録されている六編のうち推理小説と呼べるのは上記の二編だけだが残り四編のうちの三編までにも同じような感想を持った。残りの一編「群衆の人」はミステリーと言うよりなんかシュールな作品。でもロンドンの町並みの雰囲気がとてもよく感じられて楽しかった。

過剰と極限。

黒猫・アッシャー家の崩壊 ポー短編集? ゴシック編 (新潮文庫)

黒猫・アッシャー家の崩壊 ポー短編集? ゴシック編 (新潮文庫)

六編が収録されている。どの作品にもある種の極限状況が描かれていると言っていい。その極限状況を招いているのは登場人物たちの精神的な過剰さだ。時に自意識であったり、愛憎であったり、生への執着であったり、暗く病的な感受性であったり、どの人物も過剰さを抱えそこから逃れられなくなっている。だから物語は、想像力を駆使した思考実験の様相を帯びる。舞台の設定は周到だ。そのきっちり設定された舞台上で過剰を抱えた人はどのように心を動かすのか、そのような知的好奇心が作者の創作の源泉のように思われる。「黒猫」はいつ読んだものかお話をとてもよく覚えていたが、語り手の過剰が飲酒によるものであることには個人的にいささか身につまされるところがあった。それと「ウィリアム・ウィルソン」はドッペルゲンガーと言うより二重人格の方が近いように思われた。

語り手は乗り組んでいない。

白鯨 (下) (新潮文庫 (メ-2-2))

白鯨 (下) (新潮文庫 (メ-2-2))

表紙が違うんだけど同じ版だと思うのでこれでよしとします。
エイハブ船長率いるピークォド号に語り手も乗り組んでるはずなんだけどそれは嘘だと思う。第一に語り手がその船で働いている描写がほとんどない。それから語り手が目や耳にできるはずのないシーンや発言を描写していることも語り手が実際に乗組員であったという印象を決定的に薄めている。最後のオチにしてもとってつけたみたいだ。また物語の展開の部分では一部舞台か何かを手本にしたような文体も用いられているし心理小説の一面もある。それから上巻に関する感想の中でも述べたけど鯨や捕鯨に関する説明や考察の部分がやたらに長い。つまり戯曲と心理描写、それに時としてかなり深い考察を一つに合わせて小説にしましたという趣になる。小説の中には何でも詰め込むことができるという点で言えばもしかしたら画期的な作品だったのかも知れない。その代わりに、せっかく丁寧な手続きで語り手を乗組員にしたはずなのに、結局語り手は神の視点に立ってしまっている気がする。とにかく疲れる読書だった。機会があれば他の訳でもう一度読んでみたい。

中休みをのばせ。

高校の英語のサイドリーダーには訳がついておらず参考書などもない。それで自分で訳しても正解がわからないと子供が言うのでたまに訳してやっている。ところが何しろ英単語を忘れてしまっているので一行読むのに最低二、三回は辞書を引かねばならない。辞書を引くのは速い方だと思うけどそれでも相当な時間がかかる。その上話題がIT関連とか環境問題とかになると、僕が高校の頃使っていた辞書にはそもそも記載が無い。当たり前だが当時はインターネットもバイオ燃料も存在自体が無かったので仕方ない。そこはスマホを使ってウェブを検索する。ウェブの辞書は随分優秀でかなりの精度で正しい単語がヒットするけどそれでも単語を打ち込んだりするのにやはり結構な時間がかかる。平均すると一時間で一ページ訳すのは難しい。昨日も四ページ訳すのに五時間近くかかってしまい、そのせいで「白鯨」の航海は一ページも進まなかった。ちなみに今回のタイトルは吉本隆明さんが書かれたある文章のタイトルをパクったものです。

中休み。

上下巻本で上巻読んでから下巻を開くまでに他の本を読むということは滅多にないんだけど(もしかしたら生涯初。)さすがに「白鯨(下)」にこのまま移るに忍びなくて中休みにこの本を読む。高橋源一郎さんがいろいろな本について書かれる本は読んでいてとても楽しい。でもひとつだけ疑問が。

よくいわれることだが、年をとってくると時間がたつのが速く感じられるようになる。もちろん、気のせいなんだけど、ほんとに、最近、時間がたつのが超速いです。(後略)

172ページにこうあるんだけどこれは気のせいではないと個人的には思っている。たとえば十歳の人にとって一年は人生の十分の一だけど、六十歳の人にとって一年は人生の六十分の一だ。自分の人生の十分の一の時間と、六十分の一の時間だったら、前者より後者の方が短く感じられて当然ではないか。一年が短く感じられれば一ヶ月も、一週間も、一日も、一時間も短く感じられる道理だ。実感に即して言ってもたとえば子供の頃の一時間と今の一時間が同じ長さだとは到底信じられないし、それが「気のせい」で解決できるようなあいまいな差異だとも思えない。
この前の「民主主義って何だ?」の中で「僕も九条は変えたほうがいいと思ってる。」と発言されたのを読んで心の底からたまげた。まだはっきりした形をとってはいないかも知れないけど高橋さんに対する違和感のようなものが生まれようとしてるのかも知れない。