指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

「村上RADIO素敵なエレベーター・ミュージック」。

 オープニング曲は「ミスター・ロンリー」。城達也さんがパーソナリティーをつとめられた往年の「JET STREAM」と同じだ。そしてオープニングのセリフも城さんと同じものを村上さんがノリツッコミみたいに口にされてすごい懐かしかった。よく聴いたなあ「JET STREAM」。イージーリスニングみたいな曲ばかりで録音してまで聴こうとは思わなかったけど夜中に勉強するにはうってつけの番組だった。メロディーは基本的に美しかったしいい意味で聴き流せてあとに何も残らない。勉強もはかどろうというものだ。往年の、とか懐かしいとか書いちゃったけどウィキで調べたら今も番組は続いてるらしい。今は福山雅治さんがやられてるの?城達也さんが懐かしいのは劇場版「銀河鉄道999」のナレーションもこの方だったからだ。残念ながら1995年に亡くなられているようだ。
 今はラジオはほとんど聴かない。高橋源一郎さんの番組でさえ時間が合わないので聴いてない。この番組はラジコのTimeFreeにはならないし。もっぱら村上RADIOのみを録音して聴いている。そう考えるとラジオというのはひとりで聴くものなのかも知れない。小中高と自分の部屋に引きこもってひとりでラジオを聴いたし浪人の頃も同じだった。そう言えば学生になってからはあまりラジオ聴かなかったな。たぶん本を読むようになったからだろう。個人的に本を読むのは無音の方がいいので。就職してからは職場で常にラジオを流してたので聴くともなしに聴いていた。でも結婚してからうちでラジオを聴く習慣というのは持たなかった。なんと言うかやはりラジオはテレビに比べてパーソナルなメディアなんじゃないかという気がする。子供も一時期ラジオを熱心に聴いていたらしいけどそれはうちじゃなく塾にいるときだった。若くて孤独であることがラジオを聴く重要な要件なのかも知れない。だからなのか今らじれこで録音した村上RADIOを聴く体験は純粋にラジオを聴く体験とはちょっと異なってるようにも感じられる。若くもなく孤独でもないからということもひとつあるかも知れない。それに録音したラジオ番組はすでにラジオ番組ではないように感じられるからだと思う。ラジオ番組にはそれが放送されている時間帯はラジオの前にいなければならないというある種の拘束力がある。その拘束力を失うとラジオ番組という本質そのものも失われてしまう気がする。たとえ空気の振動という点ではまったく同じものだったとしても。
 でもまあこれからも村上RADIOはらじれこで録音して聴くだろう。たぶんもうそういう形でしかラジオを聴くことができないんだろうから、僕には。

中森明菜さんの「赤い鳥逃げた」。

 もともと「ミ・アモーレ」は大好きな曲でおそらく歌詞と長さとアレンジの異なるこの「赤い鳥逃げた」はラジオで聴いたんだと思う。それでとても欲しくなってシングルにしては大盤の12インチのそのレコードを買った。今ウィキで調べると1985年のリリースなので大学生だった。たぶん一度聴いたきり二度とラジオで聴く機会がなくて業を煮やしたんだろう。それともほんとに心の底から欲しくて買ったのかな。その可能性もある。レコード・プレーヤーは持ってなかったので実家に帰ったときに聴いていたらしい。この曲一曲のためにまた別のベストアルバムを図書館で借りてきた。すごくよくて繰り返し何度も聴いた。ところでカップリング曲が「BABYLON」となっていてこれって「みーちーがえるーくーらーいーきれいにーなーあったねー」という歌詞の曲かなと思って今調べたら全然違った。僕が覚えてるのはユーミンの「BABYLON」だった。アルバム「DA・DI・DA」に入っている。明菜さんの「BABYLON」ってどんな曲かなあ。あとで調べてみよう。もちろんその12インチシングルはすでに捨てられてしまった。
 朝から気分が暗くてしかたなかった。でも塾を止めるというのはまともな選択肢とは思えなかった。僕にはもうそれしかない。だからやはり以前のようにバイトすることで腹をくくった。それにまだ一ヶ月は今の暮らしを続けることができる。それだけの猶予がある。そう考えるといくらか気分が軽くなった。それで予定通りCDを図書館に返して届いていたものを借りた。ちあきなおみさんをもう一枚借りたのは前に借りたCDに入っていた「喝采」がセルフカバーで僕が聴きたかったのはオリジナルのバージョンだからだ。まだ「喝采」と「黄昏のビギン」しか聴いてないけどほんとにいい曲だ。クリスマスイブなんだね。それらしいことは何もしてない。夕飯もネギにかつ節だったし。

冬期講習があった。

 冬期講習があることを思い出した。今年は参加者が少ないので忘れかけていた。今週の土曜日から二週間ほど午前中はそれに時間を取られるのでとりあえずバイトには行くことができない。なのでウェブで探すことは続けながら応募できるものはして実際に動くのは年が明けて少ししてからにしようと思う。応募してすぐにバイトが決まるものでもないし。ちなみに冬期講習の収入はちょうどこの前買ったダッフルコートくらいの金額だ。助かるというほどじゃないけどないよりはずっといい。
 なんでこんなことになっちゃったんだろうなあと考えるとよく理由がわからず辞めた生徒さんが今年は多かったことに思い当たる。特に成績が上がってるのに辞める生徒さんというのはおそらく家庭の事情によるものなんじゃないかという気がする。そういう意味ではコロナ禍の影響も受けてるのかも知れない。それと受験生が例年の三倍もいてそれがいっぺんに辞めることになったのが痛い。一気に二十万近くの減収になる。その割には夏以降ほとんど生徒さんが増えなかった。これもコロナ禍の響きを受けてるのかも知れない。夏前は結構調子よかったんだけどねえ。
 膝はまだ少し痛むので大事を取って今日も外出しない。午前中はウェブでバイト探ししたりブログを読みに行ったりして過ごす。いろいろな音楽を聴く。去年つくったプレイリストなんかも久しぶりに聴く。家人が図書館にドラゴン・アッシュのベスト盤をリクエストしてくれと言うので昨日だったかその通りにしたら今日メールが来て届いたという知らせだった。なので明日はなんとか出かけて返すのは返し借りるのは借りたいと思っている。特に南沙織さんのベストは次に借りたい人が控えてるということなのでできるだけ早く返したい。外出は久しぶりなので楽しみにしている。

バイトを探し始める。

 探すともなく探してたバイトを本腰を入れて探し始めた。住んでる近くで探しててもなかなか埒があかないので範囲を広げることにした。交通費が出るのなら少しくらい遠くても構わない。それで四駅ほど離れたところによさそうなのをひとつ見つけた。PCを使う仕事らしい。ただ年齢の条件を含まない検索でヒットした仕事なので応募してもそれで引っかかるかも知れない。でもどちらにしてもできるだけ至急働かなくてはならないのでダメ元で応募してみようかと思っている。
 うちの近くの大手の塾でも募集していて時給がなんと二千六百円だった。もし雇ってもらえるなら塾やめちゃってもいいな。一日六時間働いて一万五千六百円。月二十五日働くとすると四十万円近くになる。教室の家賃もなくなるし余裕で暮らして行ける。でもほんとにそんなうまい話があるのか?もしかすると時間や曜日に制限があってフルでは働けないのかも知れない。仕事は楽ではないみたいなことも書いてあるので何かこうノルマ的なものがあるのかも知れない。保護者対応もあるらしいのでそれが結構大変なのかも知れない。とかいう可能性をいろいろ考える前にあっさり年齢ではじかれるだろう。年齢を含めた検索ではこの仕事はヒットしないから。でもこの好条件は見てるだけでなんだか希望が湧く。ちなみに年齢を含めた検索でヒットするこの辺にある大手の塾の時給は高くてもこの半分くらい。今の仕事をしてる限り時間帯がまるかぶりなのでもちろん塾のバイトはできない。でも時給二千六百円もらえるならぐらつく。子供に勧めてみるか。

膝の痛みがちょっとよくなる。

 朝起きたときにはほぼ昨日と同じくらいかもしかしたらやや悪くなってるようにも感じられた膝の痛みは昼寝から起きると随分いいように思われた。理由はよくわからない。とりあえず湿布を取り替えて痛み止めを飲む。家人がホットカーペットが壊れたようなのでこれから買いに行くと言う。確かにこの時期ないと困る。ちょうど子供がいたので荷物持ちで着いて行ったらと言うとすぐに立ち上がる。それでふたりで出かけて行った。時間なので僕も塾に出かける。今日は授業ができそうだ。なるべく歩かなくてもいいように問題が解けた生徒さんにはこっちまで問題集を持って来てもらって採点と解説をする。ホワイトボードでの解説もたまたま必要なくて助かる。夕方になって家人からラインが来て今お茶してるんだけどどうせなら夕食を済ませて帰ろうと思うと言うのでそりゃいいと思ってそうしなよと返す。あなたは何食べると言うのでお昼に炊いたご飯が残ってるならネギとかつぶしで充分なのでインスタントのスープか味噌汁を買って来て欲しいと頼む。デパ地下でなんか買って行こうかと言うのでそんなには食べられないと言って断る。
 手が空いた時間に数学の予習をしておく。英語はほとんどの場合ぶっつけ本番でも全然平気だ。でも数学は学年や単元によっては予め自分で解いておかないと解説で困ることがある。特に図形の問題なんかは自分で解ける場合はいいとして解けないと解説を読んでも何が書いてあるのかわからないこともあってそれはさすがにまずいので割に必死に読み込んで理解する。でも同じ問題を翌年教えようとするともう忘れてる。まあもともと数学は苦手だったので致し方ないのかも知れない。センスの問題もあるよね。
 家人と子供は「びっくりドンキー」でハンバーグを食べてホットカーペットも買えたそうだ。僕はそうでもないけどふたりは「びっくりドンキー」大好きなのでよかった。ただこれから帰ってひと仕事になる。ホットカーペット敷くのはなかなか大変だろう。
 この分で痛みが治まれば明日は外出できるかも知れない。図書館にCDが届いたと連絡が来てるし借りてる分も返したいのでできれば出かけたい。出かけないと気分が暗くなるみたいだから。あと痛いのもすごく悲観的な気分にさせる。家人は小説家に見切りをつけてまんがを描くと言ってマッキントッシュタブレットを取り出している。僕も前向きに動き出さなければならない。

塾を休む。

 膝が痛くて動かない方がよさそうだったので生徒さんの親御さんにメールして塾を休むことにした。でも気づかずに来てしまう生徒さんもいるかと思って一応塾にいて事務仕事を片付けた。それじゃ授業するのと同じじゃないかと思われるかも知れないけどやはり授業は無意識に体を動かしていて気づかないうちに結構な運動量になるのでやらなければやらない方が膝の負担は軽減できる。半数以上の親御さんからあたたかい返信が来てちょっと心が和んだ。今年は生徒さんが随分辞めたしそれに比べると入って来る方は少なかったので二月いっぱいで受験生が辞めてしまうとこれじゃとてもやって行けないという月収になってしまう。そのことはわかっていたのでなんとかしなければならなかった。でも何もしなかった。新しいサイト関連で収入を得るのも現段階ではかなり難しそうなので結局またバイトしなきゃならないということになるのかなと思っている。残された時間はせいぜい一ヶ月だろう。一月の下旬か二月の始めまでには腹をくくらなければならない。もっともバイトに関してはほぼ毎日情報をチェックしてはいる。問題はその情報が変わりばえしないということだ。清掃か介護か給食調理か管理人か警備員か保育士かドライバー。あとコンビニ。もっと何か他にないのかなあというのが正直なところだ。アーリーリタイアした人のブログによると五十代での転職はほぼ不可能なんじゃないかということだ。僕の場合は転職じゃないので少しはましかと言うとそんなことはなさそうな気がする。五十代ってそんなに能力が落ちるのかなと思うと実感として落ちてるので評価が低いのもしょうがないのかも知れない。しかもその五十代ももう二年弱で失うことになる。六十代はもっと厳しいんだろうな。暗い。とりあえず年金もらえるようになるまではなんとか食いつながないと。

ゆっくり歩く。―村上春樹ライブラリー十四回目。

 また原因不明の膝の痛みで朝六時に家人を起こして湿布を貼る。じっとしていても痛くて眠れないほど。でも八時過ぎに起きたときには少しよくなっている。三時十五分から村上春樹ライブラリーを予約していて行けるかどうか危ぶまれる。でも結局行くことにする。前回読み始めた吉元由美さんの「するめ映画館」の和田誠さんと村上さんとの鼎談をひとつ読む。そしてそれだけで帰る。暮れて行くキャンパスをゆっくり歩くとみんなどこで何をしてるんだろうという気がしてくる。同じ語学クラスの少なくともひとりは数年前に亡くなった。ひとりはこの前も書いたように京大の法科大学院に来春から所属することになってる。大阪府庁の職員だったり結構大きな企業に勤めていたりフリーでがんばっていたり何人かの消息は知ってる。でもその他のほとんどのクラスメイトは僕にとっては行方不明だ。仲のよいクラスで随分コンパなんかもやったし旅行なんかにも行ったりしたもんだけど。そして今はおそらく自分だけが毎週のように母校に通う暮らしをしている。自分だけがどこへもスタートを切れないままキャンパスに残っている気もする。でももちろんそれはただの錯覚でずっとキャンパスにいた訳じゃなく曲がりなりにも社会に出たし結婚もしたし子供も成人させた。そうして大きな円周を描いてまたここに戻って来たということだ。とてつもなく成績が悪くて命からがら卒業したのでどんな形でも大学に残るという選択肢はなかった。それに吉本隆明さんにも影響を受けていたので象牙の塔に籠もるのではなく一般の社会に出なくてはならないと考えていた。でももし村上春樹ライブラリーが開設されると三十何年前に知ってたら文学部に学部入学して大学に残ることを志望するという可能性もあったかもと思う。まあそんな仮定にはなんの意味もないな。というようなことを考えながら歩く。
 神田沙也加さんの訃報には心から驚かされた。特にファンという訳ではなかったにせよ。遠くから見るとあまり幸せな育ち方をなさったのではないように感じられるけどそれもまた推測でしかない。ご冥福をお祈りいたします。

1976年の歌謡曲。

 いくつか欲しい曲があったのでこのCDを借りた。借りてから気づいたのはこれが1976年のヒット曲を集めたものだということだった。どんな曲が入っているかと言うと子門真人さんの「およげたいやきくん」、都はるみさんの「北の宿から」、太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」、中村雅俊さんの「俺たちの旅」、山口百恵さんの「横須賀ストーリー」などだ。他にもいわゆる新御三家の曲やキャンディーズ桜田淳子さんの曲なんかが入ってる。僕は13才になる年で四月から中学生だったと思う。ラジオのリスナーとしてはだんだん腕を上げつつある頃で好きな曲をカセットに録音して聴き始めていたと思う。このCDに収録されている野口五郎さんの「針葉樹」も録音して持ってた記憶がある。それで1976年の音楽ってどんなのだったんだろうと思ってウィキで調べた。それは皆さんもご覧になれるので全般的なことには触れず自分の興味のある部分だけ切り取るとこの年カーペンターズのアルバム「見つめあう恋」がリリースされている。発売を待ちわびてレコードを買った記憶がある。出来は今ひとつだった気がするけど。クイーンは「ボヘミアン・ラプソディ」を歌い、オリビア・ニュートン・ジョンは「ジョリーン」を歌い、アバは「ダンシング・クイーン」を歌っている。割にすごい年だ。ランナウェイズの「チェリー・ボム」も当時は結構なセンセーションだった。そしてビルボード誌の年間チャートの一位はポール・マッカートニーウィングスの「心のラヴ・ソング」。本当にいい曲だ。当時も今もすごく気に入ってる。でも歌謡曲も随分聴いていたようでウィキに載ってるオリコンのトップ50に入ってる邦楽は全部カラオケで歌える自信がある。という訳で前述の二枚組のCDに入ってる三十曲もすべて知ってたんだけど掘り出し物はミス花子さんの「河内のオッサンの歌」。聴いたの何年ぶりだろう?とにかくこれは傑作。

ついてない。―村上春樹ライブラリー十三回目。

 クリスマスコンサートに誘われた(と言うほど大げさなもんじゃないけど)ので昨日村上春樹ライブラリーの予約の表を確認したら今日の午後にキャンセルを見つけて予約し三時十五分からの回に出かけた。コンサートの行われるカフェだけなら予約無しで入れる。ただ金曜日は顔見知りのスタッフさんがふたりいるはずなのでできれば挨拶してコンサートに足を運んだことも知ってほしいと思った。喜んでもらえるかも知れないから。ところが入館しようとすると検温のスタッフさんがいつもの人ではなかった。昨日はその人だったので金曜日の担当から木曜日へとシフトしたのかも知れない。その上カフェに下りて行くとコンサートはもう終わったようだった。さらに館内を一巡りしたところもうひとりの顔見知りのスタッフさん―一番最初に話しかけてくれた―はどこにも見当たらなかった。こちらもシフトが変わったのかも知れない。ということで今日のもくろみは全部からぶってしまった。もともとコンサートを聴くつもりで何も持って行かなかったので村上さんの本の展示室(ギャラリーラウンジというらしい)をうろうろ見て回った。すると吉元由美さんの「するめ映画館」という本があったので目次を見ると村上さんとの対談も収録されている。それを少し読んで早めに引き上げることにした。今年中にあと二回予約している。

 「17才」以外に知ってる曲があるのと家人に訊かれて二、三曲はあるよと答えた南沙織さんのベストはでも聴いてみたら23曲中17曲という驚異の知ってる率で自分でも驚く。いやしかし懐かしい。南さんがデビューしたときまだ小学校の低学年で何しろいろんなことを容易に記憶できたんだと思う。だからメロディーだけでなく歌詞もそこそこ覚えている。覚えてるのに忘れていたナンバーにこんな風に巡り会えるのがこういうコレクションの醍醐味だ。しばらく南さんを聴き続けたい。

クリスマスコンサートに誘われる。―村上春樹ライブラリー十二回目。

 午前中村上春樹ライブラリーへ。顔見知りのスタッフさんに挨拶して検温してもらい受付をすると今日の入館ナンバーは23。なんとかオーガンジーのカーテンは短くなって再び設置されていた。いつもの席に陣取って「全作品」の後期の七巻を開く。メモ帳を持って行ったので解題から抜き書きをする。

(前略)
 そこに表記されている内容や形式が、フィクションであれ、非フィクションであれ、虚構であれ、事実であれ、少なくともそれが文章を媒介としているものであるかぎり、我々(小説家)はその書物が、読者の心を揺さぶることを第一に求めるし、できることなら読者がその本を読むことによって、物理的に、たとえ数センチであれ、移動することを求める。頭の中で「なるほど、これはこうなんだ」とすらすら腑分けされ、論理的に処理されてしまうことが、我々にとってはいちばん困ることなのだ。そのような書物は頭には残るけれど、心には残らない。
(後略)
村上春樹全作品1990~2000 7」解題より。

 この抜き書きを読んで改めて気づかされるのはこの期に及んでも自分が小説を読むとはどういうことなのか問い続けているという事実だ。ここで作者は小説は頭で理解するものではなく心で―どんな形でか―受け止めるものだと言ってることになると思う。それはおそらく理解しようという意志と言うかはからいと言うかそういうものを超えてひとりでに動かされてしまうという事態を指している。言い換えればひとつの作品を読んでそれは一体なんだったのかと考え始めた瞬間にもう道を踏み外してるということを意味してる気がする。だとすれば個人的には道はまだまだ遠いんだなと思わざるを得ない。あるいはまた小説を読む資格なんてお前にあるのかという自問にもなりかねない。
 それからカルト教団について触れたこんな一節。

(前略)僕はカルト教団というのは、それが設定した独自の物語性の中に不特定多数の人々を引きずり込み、出口をふさいでそこに留め、その上でじわじわと自我を徴収していく、閉鎖的なシステムであると一般的に捉えている。きわめて危険な、あるいはきわめて危険化する可能性に満ちたシステムである。その物語性が閉鎖的なシステムの中で完結しているが故に、それは簡単に臨界点に達してしまうからだ。その信者たちは、そこにおいては言うなれば自発的な虜囚であるわけだが、その完結性の危うさに気づくものはきわめて少ない。なぜならその完結性こそが、彼らの求めているものだからだ。
 そのような物語のインスタント完結性に対抗できるものは、論理ではなく、知識でも道徳でもなく、「べつの物語性」でしかないと考えている。べつの「解放された」物語性だ。簡単に言い換えてしまえば、それは物語の「開放系」と「閉鎖系」とのあいだの闘いなのだ。(中略)我々の社会が人々に対してどのように有効な生きた社会的物語を提示できるか、という問題がひとつの大筋としてそこにあるわけだが、小説家という立場から見てみれば、それは「小説家が読者に対してどのように有効な、生きた物語を提示できるか」ということにもなってくる。そしてその「有効な物語性」という命題は、これからの文学にとって、重要な主題のひとつになってくるのではないだろうか。もし現代の文学がある種の袋小路にはまりこんでしまっているとすれば(僕はとくにそのようには考えないのだが、そういう意見は世間に根強くある)、そのような主題はひとつの突破口になり得るのではあるまいか。
(後略)
前掲書より。

 閉鎖系の物語に開放系の物語を対峙させ後者に前者を解体させることによって危険を回避するという構図はとてもわかりやすい。有効なのは一枚岩の論理でも知識でも倫理でもなく物語の有機性ということなんだろうと思う。これはひとりカルト教団への対抗策となるばかりでなくたとえば人を自死や犯罪やその他あらゆる不幸から救う回路を開くことにもつながる気がする。ある物語を知ってふっと気が楽になったりすることってあるから。
 あと二箇所抜き書きをしてきたんだけど長くなるのでそれは近いうちに引用したい。
 読み終えてからまた地下のカフェでジンジャーエールを飲んで―この前に続いてコルトレーンの演奏らしき「My Favorite Things」がかかってた。―一階に上がり受付でカードを返した後顔見知りのスタッフさんに挨拶して外へ出た。出るとすぐに呼び止められて振り返ると一時からカフェでクリスマスコンサートがあるのでよかったらと同じスタッフさんに誘われた。そのことはツイッターで見て知ってたのでそう伝え来られたら来ると答えた。仕事もあって今日は無理だったけど明日も行われるということなので行ければ行きたい。

中森明菜さんの「BEST Ⅱ」。

 ちあきなおみさんと南沙織さんと中森明菜さんのそれぞれベストアルバムが図書館に届いたので借りに行った。いちばん始めに聴いたのは中森明菜さんの「BEST Ⅱ」。何しろ大好きなアルバムだ。シングルを集めたものなので粒ぞろいなのは当たり前としても一曲一曲の持つ雰囲気がすごく濃くて独特だ。引き合いに出して申し訳ないけど松田聖子さんにはこの味わいは無いと思う。聖子さんは聖子さんでいいんだけど明菜さんのパワーはまた質感が全然違う。それと歌詞のスケールがやたらでかいのもいい。「ジプシー・クイーン」なんてほとんど輪廻転生の世界だ。この神話的なまでのスケール感のでかさも明菜さん独特のものだと思う。こんなにでかいのに彼女が歌うとまったく違和感が無い。すごい。初めて買ったCDは松田聖子さんの「SUPREME」(「瑠璃色の地球」なんかが入っている)なんだけどその前に学生生協でCDコンポを買ったときサービスで一枚CDがもらえたので中森明菜さんの「BEST」にした。要するにタッチの差で明菜さんの方を先に手に入れた訳だ。だからどちらかと言われれば明菜派ということになるんじゃないかと思う。この「BEST」も「ミ・アモーレ」とか「SAND BEIGE―砂漠へ―」とか「SOLITUDE」とか「スローモーション」とか名曲揃いですごかった。でもどちらか一枚と言われると「BEST Ⅱ」に軍配を上げるような気がする。前作より世界観がより深まってると思えるからだ。とか言ってないで両方合わせて自分なりの明菜さんのベストをつくっちゃえばいいのか。あ、それはいいなあやってみようかな。
 同時に「村上春樹全作品」の前期の一巻目も届いていた。手渡されるとき箱無しだったのでこりゃ挟み込みの「自作を語る」は期待薄だなと思って帰って来て見たら表紙の裏に頑丈にテープ止めされて読めるようになってた。やるじゃん。コピーを取るかタイプするかしようと思う。この分なら全巻の「自作を語る」が手に入りそうだ。一冊ずつこつこつ集めて行こうと思っている。何しろ一冊でも結構重いからね。

雨の村上春樹ライブラリー。―村上春樹ライブラリー十一回目。

 朝から冷たい雨が降っていた。VANのダッフルコートを濡らすのはいやだったのでほこりを落としたばかりのブルックスブラザーズのダッフルコートを着て十一回目の村上春樹ライブラリーに行く。雨の日は初めて。外は思いの外寒くて指先がかじかむ感じがある。受付を済ますと今日の入館カードのナンバーは20。ちょっと迷った後「全作品」の後半の七巻目を取って解題を読み返す。前回あまりぴんとこなかった言葉が今回は割に胸にしみる。よかった。と思う。でも今日は訳あってメモ帳を持って来なかったので抜き書きは無し。読み終えると地下に下りてカフェでまたジンジャーエールを飲む。いすに座って窓から雨を眺める。今日のカフェは珍しくとても空いている。雨のせいかもしれない。雨を眺めてから再現された村上さんの書斎に目をやる。そして辛いジンジャーエールを口にしながらまた雨を眺める。飲み終えるとグラスを返して階段を上って展示室に戻る。小さなツアーのようなものが開催されていてアナウンスする先導の人に従って何人かのお客さんが着いて歩いている。いつもの席の両隣に他のお客さんがかけているので「全作品」の後半の五巻目を手にして別の席に座る。「ねじまき鳥クロニクル」の第三部が収録されていて解題もそれについて述べられている。読むのは二度目、いや三度目かな。全部読み通すと帰る時間が来てしまう。重いダッフルコートに袖を通してマフラーを丁寧に巻く。それから入館カードを返却しスタッフさんに挨拶して傘を差してキャンパスを歩く。今日はなんか力が抜けてる気がする。いつもはこう意気込みみたいなものが割に充実してるけど今日はそういうのが感じられない。それはそれで悪くない。次回もOrange Catでジンジャーエールを飲もう。ちなみに今日もまだなんとかオーガンジー製のカーテンははずされたままだった。
 昼寝から起きると雨はやんでいる。塾で生徒さんを待つ間にこの前の「村上RADIO プレスペシャル」をらじれこで聴く。村治佳織さんのギターをバックにした「ふしぎな図書館」の村上さんによる朗読。羊男の発言では声色を変えたりしてなんだか親近感が湧く。来月もライブラリーでイベントがあるということだ。一度行ってみたいけどどうせ当たらないだろう。ところでこの番組はパーソナリティーがやや村上さんをマンセーし過ぎなんじゃないかという気がする。聴いててときどきどうかと思うことがある。まあお前に言われたくないと言い返されるかも知れないけど。

ほこりを払う、いろいろ捨てる。

 寝室の扉のところにつっかえ棒式の棚を設置してそこに衣服のうちのいくつかをかけている。ほとんど着ないものがかかってることには前々から気づいていた。今日は重い腰を上げてそれらを処分することにしたのと同時にほこりをかぶったままのブルックス・ブラザーズのダッフルコートともうひとつ家人のコートをベランダできれいにすることにした。洗濯物があるとほこりをかぶってしまうので干す前の早朝の作業だ。ベストトレッサーという冗談みたいな名前の洋服用のほこり取りを愛用していて(買ってからもう二十年くらい経つかも知れない)それで二枚のコートのほこりを丁寧に払う。家人のものは結構傷んでいて毛玉などもたくさんあるので目立つものは取り除く。ダッフルコートも傷みが目立つ。でも普段遣いなら着られないこともなさそうなのでとりあえずできるだけきれいにする。ほんとはクリーニングに出すべきところなんだろう。でも一部本革が使われていてクリーニングに出すと普通のものより格段に時間がかかる。そろそろ本格的に寒くなるということなので急ぎたい。だからクリーニングに出すのはシーズンが終わってからということにした訳だ。
 それから同じ場所にかかっている衣服のうちもう着ないと思われるものをゴミ袋に放り込む。ほとんどが子供のボタンダウンシャツで長い間かかってたので退色したり黄ばんでしまったりしている。サイズがもう合わないものもある。まとめて捨てる。なんでそんなになるまでほっといたかと言うと家の中のことは家人に任せなきゃという考えが心のどこかにあるからだと思う。僕が口出しや手出しをするのはなんとなく遠慮すべきなんじゃないかという気がしてしまう。でもまあ今回はコートも再生させたし少しは手を入れさせてもらってもいいかなと思う。それに場所を空けた方がいろいろ片付くし。年末に向けて捨てるべきものをもう少し捨てたいと思っている。

窓が開く。

 午後人がやって来て物音を立ててるなと思ったら小一時間すると静かになったので外へ出てみると階段に設置された窓が五センチほど開いていた。それ以上は開かないようにロックされている。隣の人は在宅のようでたばこの匂いはしている。でもその窓の隙間からそよそよ風が入ってきてるみたいなのでこれでも充分効果があるのかも知れない。とりあえず様子を見てくれと大家が言ってるので様子を見ようと思う。これで匂いがしなくなればこちらとしてはなんの文句もない。
 「村上春樹全作品」を図書館で借りることにしてリクエストを出した。重いので前期の一巻目だけ。小冊子が運良く挟み込まれていれば塾でコピーしようと思う。収録作は「風の歌を聴け」と「1973年のピンボール」。作品も読み返してみようかな。前に読んでからまだ一年ちょっとしか経ってないけど。曲は南沙織さんの「17才」にかわる。
 歌謡曲を集めたオムニバスCDを借りてパソコンに取り込んである中にこの南沙織さんの「17才」を見つけてプレイリストに加えた。いい声だなあ。それでなんだか無性に南沙織さんの他の曲が聴きたくなって図書館のサイトでベストを探してリクエストした。でも二タイトルくらい所蔵されてる両方共が貸し出し中で驚く。人気あるのかな。たぶん借りてるのは僕と同じくらいか少し上の世代じゃないかと思うんだけど。曲は山口百恵さんの「横須賀ストーリー」にかわる。この人のベストは持っている。
 それとちあきなおみさんも聴きたくてやはり図書館のサイトで探す。「喝采」名曲だよね。それから何年か前にCMで使われた「黄昏のビギン」も聴きたくて両方入ってるCDを見つけてリクエスト。こちらは在庫があったのですぐに借りられると思う。あとたぶんカセットで持っててとてもよく聴いた中森明菜さんの「BEST 2」も長いこと借りたいと思いながらなぜか借りてなかったのでついでと言ってはなんだけどリクエスト。これは本当にいいアルバムですごく楽しみにしている。じゃあさっさと借りればよかったのにね。曲は研ナオコさんの「あばよ」にかわる。研さんは「愚図」もいいなあ。そんな風な古いボーカルをまたちょっと腰を据えて集めたいとすごく唐突に思い始めた。老い先が短いからなのかなあ。
 確かに57歳と58歳は随分違う気がする。58になるともうすぐそこに60が迫ってる実感がある。母方の祖父は63歳で亡くなった。その年までもう五年しかない。祖父が亡くなったとき僕は17歳だった。すると祖父は今の僕の年で中学生の孫がいたことになる。僕が孫を持てるとして中学生になるにはあと最低でも十五、六年はかかるだろう。そこまで生きてられるかなんて本当にわからない。まあ子供が独立してしまえば背負ってる責任の半分は果たしたことになる。でも家人の稼ぎだけではとても暮らして行けないと思うしなんとかもう少しがんばらないとなあ。曲は山口百恵さんの「秋桜」にかわる。