指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

読んでいて本当に楽しい。

 

本当の翻訳の話をしよう

本当の翻訳の話をしよう

 

  雑誌「MONKEY」は毎号購入するには高価でほんの数冊しか持っていない。この本に収められた対談と講演の初出はすべて「MONKEY」らしいのでほとんど読んだことがないだろうと思ってたら「村上柴田翻訳堂」の何冊かに解説替わりに再録されていたものもあってそれらは読んだことがあった(「チャイナ・メン」と「素晴らしいアメリカ野球」)。その他にこの前村上さんが訳されたチーヴァーの短編集に再録されたものもあってそれも読んでいた。さらにたまたま持っていた「MONKEY」に収録されていたものも当然読んでいた(「帰れ、あの翻訳」)。ということで全八本中四本は読んでいたのでなんだか勿体ないような気もするけどこの手のものは何度読んでも興味深くかつ気楽に楽しめるのでまあいいかと思う。そしてこれ一冊読むだけで読みたい本がどんと増える。ちなみにおふたりでそれぞれ五十冊ずつを挙げて計百冊の「復刊してほしい翻訳小説」のリストが載っている。この中から「村上柴田翻訳堂」で実際に復刊されたものもある。それらは昨年すべて手に入れて読んだんだけどその他にリスト上にあって僕の本棚にもある本が何冊かあったのでこの場を借りてやや自慢げに挙げさせて下さい。ティム・オブライエンの「カチアートを追跡して」と「僕が戦場で死んだら」、ドナルド・バーセルミの「口に出せない習慣、不自然な行為」、ロレンス・スターンの「トリストラム・シャンディ」、ジュリアン・バーンズの「フロベールの鸚鵡」、リチャード・ブローティガンの「ホークライン家の怪物」。ミロラド・パヴィチの「ハザール事典」とマイケル・オンダーチェの「ビリー・ザ・キッド全仕事」も持ってるけど、今では手に入るようになっている由。絶版本を持ってるというのは個人的にはなんとなくうれしいことのひとつ。ところで村上さんの訳されたカポーティのアンソロジー「誕生日の子どもたち」はどうも未読のようだ。買ってこなきゃ。

いきなりステーキ。

 いつだったかわからないけどそう遠くない前に、立ち回り先と言うかある駅を中心とした割とよく行く繁華街にいきなりステーキの店ができたらしい。僕は知らなかったんだけど家人は知っていて先週食べに行きたいと言った。ちょっと意外な気がした。ステーキが食べたいと言うなんて結婚してもうすぐ二十年になるけどたぶん一度もなかったことだからだ。でもまあどちらかが何かをしたいと言ったらそれがなんらかの意味合いでとんでもないことでなければとりあえずするというのが暗黙のルールみたいになってるので(今までふたりが合意した中でいちばんとんでもなかったのは妊娠と出産と幼稚園へ上がるまでの子育てだった。)行ってみることにした。僕は特にここ一年くらいめっきり食べる量が減っていて何かを食べたいと思うことがあってもほんの少し食べれば充分だ。たまに外食してセットメニューなんか注文すると量が多すぎるんだけど絶対残してはいけないという母親の教育が強固に身を縛っているので全部食べて後で苦しい思いをする。子供と一緒のときはたいていかなりの量を食べてもらう。いきなりステーキではランチメニューを注文した。ステーキの量は選べるのでいちばん少ない200gにしてライスは普通盛り、それにサラダとスープがつく。ステーキには付け合わせとしてご飯茶碗小盛り一杯分くらいのコーンが載っているが、これはオニオンやブロッコリなど他のものと交換することもできる。それで税込1200円ちょっとなので安いと言えば安い。ただ普通盛りのライスは僕にはやはり多くて200gのステーキと一緒だと命からがら食べ終える形になった。はっきりと、若い人たちの食べ物だと思ったけど周囲の席には男女合わせて年配のお客さんも結構見受けられた。家人も同じ量を食べて全然余裕のようでステーキを食べると元気が出るなんて言っている。僕は後でどれほど後悔することかと思いながら店を出た。食べ過ぎたときの胸焼けや胃の痛みは僕の場合数時間後に始まる。それで戦々恐々と待ってたんだけど何時間経っても胃はなんでもない。確かにお腹は夜になっても全然空かないけど胃には何の問題も起こらない。すごく不思議だ。今日また家人が食べに行こうと言うので行った。家人は肉を300gに増やしてライスは小にした。僕は200gのままでライスはなし。ちょうどいい気がした。夜になっても胃に痛みは来ていない。
 今月末に家人は締め切りを控えている。でもいつもほどはテンパってないようだ。普段は長いと一週間くらい外食やコンビニ弁当が続くこともある。もちろんそれで全然構わないんだけど今回は手抜き、手抜きと言いながらも子供のお弁当もつくるし、三食の用意もしてくれている。主に景気とスタミナを両方ともつけるためにステーキが食べたいらしい。ただ家人の好みが変わったのは確かなように思われる。それともこれまで二十年間、稼ぎの悪い旦那に遠慮し続けてきたんだろうか。

ピッツバーグ・スティーラーズの頃。

 今日池袋のGUに子供の服を見に行ったらNFL(ナショナル・フットボール・リーグ)とのコラボTシャツを売っていた。そうたくさんの柄は無かったんだけど思いついてピッツバーグ・スティーラーズのものを探すとあったので喜んで買った。アメリカのプロのアメリカン・フットボールは小学校六年のときに何がきっかけだったか男の子の間でものすごく流行った。僕は父親の仕事の関係で大宮市(現さいたま市)に住んでいた。テレビでは週に三十分だけいつのシーズンのものかわからない、何試合かをまとめたダイジェスト番組を見ることができ、その他に年一度のスーパーボウルは中継だか中継録画だかで見られたんじゃないかと思う。ただニュースソースは圧倒的に限られていたので多くはヘルメットのデザインだけでひいきのチームを決めていたような気がする。ニューヨーク・ジェッツのファンがいて、マイアミ・ドルフィンズのファンがいて、ダラス・カーボーイズのファンがいた。僕もしばらくの間ドルフィンズのチームカラーとヘルメットのデザインが気に入っていたんだけどあるときスーパーボウルで優勝したピッツバーグ・スティーラーズの黒を基調として原色を三色使ったデザインのかっこよさに目覚めた。クォーターバックの名前をはっきり覚えている。テリー・ブラッドショー。今調べると彼を擁するスティーラーズが優勝したのは1975年の第九回、76年の第十回、79年の第十三回、80年の第十四回のスーパーボウルということだ。僕はそれぞれ11歳、12歳、15歳、16歳だった。どの試合を見てどの試合を見ていないかは覚えていないし調べてもわからない。でも少なくとも二試合は見ていると思う。おぼろげな、と言うか、それ以上にはっきりしない印象にまで薄れてしまった試合の中ではブラッドショーが数々のロングパスを成功させスティーラーズは多くの点を取っている。試合自体ももちろんすごくおもしろいんだけどとにかくテリー・ブラッドショーは光輝いていた。
 その十代初めから半ば過ぎまでが僕にとってのピッツバーグ・スティーラーズの頃だ。ブラッドショーがいなくなってしまってからスーパーボウルはあまり見なくなった、と思う。後年セナが亡くなってからF1を見なくなってしまったのと同じように。でも今でもピッツバーグ・スティーラーズのファンなんだ、と思う。今でもセナのファンであるのと同じように。

令和、と初めて打ってみる。

 アイルトン・セナの命日だ。そして令和元年の最初の日でもある。令和は今使ってる何年か前のバージョンのATOKにはもちろん入っていないので学習させた。個人的なことで言うとうちの塾の創業も5月1日で今日から七年目が始まる。業種上3月か遅くとも4月1日までに事業を始めたかったんだけど諸般の事情でやむを得ず5月1日になった。でもセナの命日と重なって幸先がいいような気がした。神頼みに近いけどそういうものが必要なときというのもある。

手を合わす。

 東池袋の事故でまだ小さな女の子とお母さんが亡くなったところへ、学校帰りに自転車で子供が行き手を合わせ缶ジュースをお供えしてきたという。そういうところもあるんだなと我が子ながら思う。

バックパックにはいつでも栓抜きが入っている。

 「風の歌を聴け」の「僕」なら眉をひそめるかも知れないけどグラスに注がず口飲みで飲むなら缶ビールより瓶ビールの方がおいしいと家人も僕も思っていて、気の向いたときにいつでも瓶ビールを買って公園なんかで飲めるようにバックパックには栓抜きが入っている。昔の悪役レスラーがパンツに栓抜きを隠してるみたいに。でも栓を抜くのに使う部分以外はプラスティックでコーティングされているのでたぶん凶器としてはあまり役に立たない。今日は駅前のスーパーでおいしいサンドイッチを買ってビールの銘柄がたくさん揃っているもうひとつ別のスーパーで瓶ビールを買って公園で食べたり飲んだりした。家人はカールスバーグ、僕はハイネケン。どちらもとてもおいしいビールだと思う。カールスバーグは渋谷の立ち食いピザ屋CONAのデフォルトのビールだったので味を覚えた。今この店ではカールスバーグではなくキリンのハートランドがデフォルトになってると思う。ちょっと甘いけどハートランドも悪くない。ハイネケンは独特の臭みがとてもいい。若い頃は苦手だったけど今は気に入ってよく飲む。いつでも瓶ビールを買って、とさっき書いたけど戸外で気持ちよくビールが飲める季節というのは実はそう長くない。寒い時期はもちろん適さないし暑いとビールもぬるくなってしまうし公園によっては蚊が出たりでうちで飲んだ方が快適だ。だからお花見が終わった頃から初夏までと、秋口の二回、かなり短い時期に限られる。今東京は戸外が最も気持ちいいときだと思う。生き生きした新緑の美しさを眺めながらゆっくりと瓶を傾ける。せいぜい30分くらいの楽しみなんだけど季節を惜しむように梅雨が来るまで何度か繰り返すことになる。

大幅減収。

 今年になってから生徒さんが結構辞めた。一月にふたり辞めたんだけどこのうちひとりは推薦で進学が決まったからで仕方ないし想定済みだった。二月にもふたり辞めたけどそのうちひとりは一月同様進学が決まったからなのでこれも織り込み済みだった。まったく想定していなかったのは先月いっぱいで四人が辞めたことだ。きっかけは二月に塾で学力テストをしたことで揃いも揃ってものすごくひどい成績だった。まさかこれほどわかってないとは思ってなかった。塾としてはこれでは辞められても仕方ない。計八人辞めて減収は月収でなんと20万円弱。一時はかなりやばいところまで追い詰められたんだけど驚いたことにすぐにつぶれる兆しはない。わずかながら新たに入って来てくれる生徒さんがいたこと、前にも書いたように年度が替わってたいていの生徒さんの受講料が上がること、春期講習会を企画したら予想外に多い人数が申し込んでくれたこと、家人が新たに原稿料を得たことがその理由だ。辞めた生徒さんの中にはいろいろな意味で忘れがたい子もいたけどそれはもう仕方がない。同じ学力テストを受けて割とひどい成績だったにも関わらず春期講習会にも参加しうちに着いてきてくれることを決めた生徒さんもいる。そういう生徒さんに勇気づけられながらとにかく前を向いて進んで行く。でももう学力テストは二度とやらないつもり。

進級できるか。

 高一で一教科単位を落とした子供は高二でもう一教科落とすと進級できないことになっていた。三学期の期末考査が終わってまだ進級のための先生たちの会議は行われてないものの担任からは一応大丈夫らしいと話があったそうだ。進級できないと高二をもう一度やるのではなく放校になってしまうそうでそれだけは避けたかった。下駄を履いてみなければわからないけど何とかなっていたらいいと思う。

全篇本邦初訳。

 

橋の上の天使

橋の上の天使

 

  奥付を見るとこの本の初版が出たのは1992年6月となっている。底本はKnopf版の「The Stories of John Cheever」で先日触れた村上春樹さん訳「巨大なラジオ/泳ぐ人」と同じだ。二冊では「さよなら、弟」あるいは「ぼくの弟」のみかぶってるとこの前書いたけど読んでみたらもう一編川本三郎さん訳では「父との再会」、村上さん訳では「再会」というタイトルの作品がかぶっていた。なので川本さんの15編プラス村上さんの18編マイナスかぶった2編ということで、二冊で31編の短編あるいはエッセイを読むことができる。これは底本の61編のほぼ半分に当たる。訳者川本さんはおそらく初訳ということにこだわって作品選びをしているのですでに翻訳されたことのあるものはあえて収録しなかったということらしい。村上さんは代表作も訳しているのでそれが二冊の味わいの違いをつくっている。良い悪いの問題ではなく川本さんの本は全般的に地味目な印象を与え村上さんの本の方が印象は派手になる。それは後者が代表作という振れ幅の大きい作品を含んでいることから来ている。もうひとつあるとすればうまく言えないんだけど川本さんの本の方が作者のいろいろな面を幅広く感じさせてくれる気がする。バラエティーに富んでいる。それに比べると村上さんの本は印象の似た作品が収録されており統一感があるように思われる。だからなんだと言われるとだから二冊とも読んでみたらということになる。いつの日か61編すべてを翻訳で読むことができるといいと思った。

二度目の五百円玉貯金。

 今月は何かと物入りなのでしばらく前からよく覚えてないけどたぶん一年くらい続けていた五百円玉貯金を使おうと思って数えたらちょうど二百枚貯まっていた。十万円。三、四万あれば足りるし、もしかして五、六万になっていたらすごくうれしいと思っていたのを大幅に上回った。授業料でもらった五百円玉を全部と買い物のときのものを折に触れて貯めていただけなんだけど結構貯まるもんだな。半分の五万円だけ使って残りは貯金を続ける。

突破口。

 

ピアノ・レッスン (新潮クレスト・ブックス)

ピアノ・レッスン (新潮クレスト・ブックス)

 

  「巨大なラジオ/泳ぐ人」を買ったとき隣に積んであったので思わず一緒に購入してしまった一冊。アリス・マンローという名前は知っていたけどどういう人かは知らずもちろん作品を読んだこともなかった。新潮クレスト・ブックスを買ったというのも二十何年ぶりなんじゃないかと思う。ベルンハルト・シュリンクの「朗読者」以来か?ちなみに表題作はジェーン・カンピオン監督、マイケル・ナイマン音楽の映画「ピアノ・レッスン」とはまったく無関係。余談だけどこの映画はとても好きな一本でサントラのCDも持っている。メインテーマを頭の中に思い浮かべることもできる。
 うまく言えないんだけどところどころに不思議なことが書いてある短編集だ。絶対に体験したことがない感じ方なのにいつかどこかで感じたことがあるような既視感のようなものを覚える。作者と言うかもう少し正確に言うなら語り手はそれを確かに知っている。そしてそれを読む自分も知っているはずがないそれを確かに知っているような気がする。それは語り手と自分の間だけで成り立つ共犯関係のような感覚だ。そして不思議なことにその共犯関係を通路にして自分はどこか遠いところに連れて行かれるように感じられる。誤解を恐れずに言うならそれはどこか別の世界への突破口のようなものなのかも知れない。語り手に共感することを通して壁の向こうの自由でよろこびに満ちた何かに指先が一瞬届くような。その得も言われぬ感触は、この作者独自のもののように思われた。ほんとにうまく言えてないんだけどまあそんな感じ。

個人的ジョン・チーヴァー、その後。

 村上春樹さんによると川本三郎さんの訳されたジョン・チーヴァーの短編集「橋の上の天使」と村上さんの「巨大なラジオ/泳ぐ人」では「Goodbye, My Brother」という一編だけがダブっているそうだ。邦題は前者では「さよなら、弟」、後者では「ぼくの弟」となっている。なぜこの一編だけがダブったのかあるいは逆になぜこの一編しかダブらなかったのかは村上さんの文章に譲るとして「橋の上の天使」が刊行された段階で「さよなら、弟」を読んでいたはずなのに先日「ぼくの弟」を読んだときには全く読んだ覚えがなかった。訳文が多少違うからと言っても同じテキストの翻訳を読んでいてしかも全く読んだ覚えがないというのは我ながらおかしい気がした。もしかしたら橋本さんのチーヴァーは買っただけで読んでなかったんだろうか。そう疑われた。
 割合は正確にはわからないけど買った本のうちいくらかは読んでいないものがある。若い頃は読んでない本というのはかなり正確に覚えていたんだけど年を取ってだんだんあいまいになって来ている。「橋の上の天使」は頭の中では読んだ本に分類されていたけどもしかしたら思い違いなのかも知れなかった。
 どちらにしても村上さんの訳を除けば持っている唯一のチーヴァーの訳本なので読みたいと思い、幸い本棚の比較的取り出しやすいところに背表紙が見えていたのでちょっと苦労して取り出して丁寧にほこりを払った。そのとき気づいたんだけど本についている細いリボン状のしおりの先がばらけないように結んであった。今は面倒なのでやらないけど一時期本のしおりの先を結ぶ習慣があった。それは前述の通り先がほどけてばらけることを防ぐためと、確かにその本を読んだことを証すためとのふたつの理由を持った行いだった。なのでこの本を読んだことはほぼ間違いないと思われた。四半世紀ちょっとの時間が読んだことを完全に忘れさせただけだった。

不吉な予感。

 

巨大なラジオ / 泳ぐ人

巨大なラジオ / 泳ぐ人

 

  ちょっと前のことになるけど村上春樹さんの訳されたチーヴァーのこの短編集を読み終えた。収録されている短編十八編とエッセイ二編のうち表題作の二編に最も惹かれた。リアリズムに見えるのにいつの間にかそうではない不可思議な世界へ踏み込んで行ってしまうこの手の作品が個人的にもともと大好物なのだ。ただそういうスーパーナチュラルな感触でこの作家を特徴付けてしまうのは間違いな気がする。ふたつの表題作はたまたまそういう作品だったというだけのことだと考えた方がいい。それよりもどの作品にも共通しているのはある種の不吉な予感とでも言うべきものになる。主人公たちは多かれ少なかれ現状からより暗い方向へと転がり落ちて行く。落差がそれほど大きく見えない場合でも、決定的に、運命的に、不可逆的に。訳者はそうしたストーリーを展開する作者の腕の確かさを最も高く評価しているようだ。もうひとつ個人的な興味に引き寄せて言うと妻が夫を拒む描写に非常にリアルなものを感じて共感と恐怖を同時に抱いた。それはけんかしたときに家人が僕を否定する否定のしかたに酷似している。その拒み方には何かとても普遍的なものが感じられる。ひとたびそうなってしまうと男の側にできることなど何も無いように思われる。

疲れの理由。

 ずーっと疲れてる。今の塾の仕事は夏期講習などがない時期なら日に長くて六時間で週六日なので一週三十六時間弱に過ぎない。勤め人が九時五時で働くとして週休二日なら一週四十時間労働なのでそれよりもやや少ない。もっともそれは授業だけの話で他にも雑事をこなしているのでまあ大体残業が全く無い勤め人と同じくらいの労働時間になるかも知れない。時間としては決して長い方ではないだろう。ただそれにしては疲れすぎてる気がする。たとえば正月などで何日か休めてもまるで疲れがとれない。その理由なんだけどバイトしてた頃の疲れがまとめて残ってるんじゃないかと苦し紛れに考えたりする。清掃のバイトの頃は朝六時過ぎくらいから一時間半の昼食と移動時間を除いて夜九時半くらいまで十五時間半拘束の十四時間労働がなんと週六日だった。ただこのブログによるとそれも2015年の三月まででそれ以降はバイトを午前中だけにしてもらって三時間勤務時間が減っている。また同時期の2015年の六月頃から翌2016年の三月まで清掃のバイトを週五日に減らしてもらい、不定期に土曜日に中学校の補習授業を行うバイトにも行った。これは時給はよかったけど移動時間が長くて結構大変だった。清掃の方は2016年の七月半ばまで続け夏休みは夏期講習と時間帯がかぶったためバイトを休みそのまま辞めてしまっている。塾だけで暮らせるようになったかと思いきやまだそれは無理で、翌2017年の一月か二月にスーパーのバイトを週三回で始めた。これも拘束時間が五時間半くらいあったので週に三日は十時間以上の労働になった。最後の方は一日三時間に減らしてもらっていたけど結局昨年2018年の五月いっぱいで辞めている。プラス2017年の夏くらいから年末にかけて土曜日ないし日曜日にカテキョのバイトもして一時は週休0日でかなりつらかった。と、考えてみれば時期によってはやや無茶な働き方をしていたことになる。この数年間の疲れがまだ残ってるというのが言い分なんだけどいくらなんでもそれはちょっと無理だろうか。家人の原稿料と塾からの収入だけで生計を立てられるようになって丸八ヶ月が経とうとしている。仕事してる時間があまりに短くてときどきなんだか後ろめたい。でもそれとは別にとにかくずーっと疲れている。

借金が終わる。

 今年の六月で借金が返し終わるんだけど六月までに返済する金額と同額の貯金がすでにできている。今月分の収入からは借金の返済のことは考えに入れなくてよくなった訳でそれはだいぶ肩の荷が下りた感を与える。この時期受験が終わった生徒さんが一定量辞めるので一時的に収入が減るんだけど新学期になると進級した生徒さんの授業の回数が増えたり、小学生から中学生になって英語の授業が加わったりしてわずかながらもたいていの生徒さんの受講料が上がるので全体としては結構な増収となる上に返済もなくなるので見通しは明るいような気がする。気がする、と言うのは実際にその時期になってみないとわからないからで新学期で辞めてしまう生徒さんというのもある程度覚悟しておかなければならない。この仕事も七年目を迎えるけど不確定要素というのはいつまで経ってもついて回る。まあそれが自営ということなので仕方ないと言えば言える。

 借金をしている信用金庫の通帳を見ると返済が引き落としになるほんの数日前にその月の返済額を入金している月が何ヶ月も続いている。引き落としになると残高は数百円になりそれが翌月の引き落とし直前にまた入金するまでそのままだ。毎月返済額を入金すると、ああ今月も無事返すことができたと小さなため息をつき続けた五年間だった。そのときはなんとも思ってなかったけど今から思うとやはりきつい五年間だったような気がする。