指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

山本義隆さん二冊目。

 福島の原発事故は想定外の事故とは言えない。なぜならそもそも原発とは未完成な技術に過ぎず事故はある意味で必然的について回るものだからだ。それはどうしてなのか。そして日本はその未完成の技術にいわゆる「安全神話」を隠れ蓑にしながらなぜここまでこだわり続けて来たのか。この前読んだリニア中央新幹線に関する本と同様原発がプロジェクトとして未だに破棄されてないことが本当に信じられなくなる。原発推進に舵を切った当時の指導者の述懐や現場の技術者の証言も非常に説得力があるし原発を火力や水力といった他のエネルギー開発となぜ同列に扱ってはいけないのかという解説も読んでてそら恐ろしい。また人類が自然とどう関わり自然に対する解釈をどう変えて来たかを科学、哲学、文学を行き来しながら中世までさかのぼって跡づける手並みは筆者の面目躍如とも言える鮮やかさだ。またその博識さも驚異的に思われる。筆者の本はこれで二冊目だがおそらくまだ主著と言えるものには当たってない。より本格的な論考もこれから読んで行こうと思う。すでに借りてある。
 個人的なことを言うとこの本を書店で見かけた十年前に一度読んでみたいと思ったことがあった。なぜ読まなかったかと言うと難しくて読めないんじゃないかと勝手に思ったからのような覚えがある。核分裂の過程に関するくだりはさすがに歯が立たなかったけどそれ以外は本当に平明に書かれていて対象を深く理解すればするほどそれに対する解説はわかりやすくなるという俗説にも信憑性があるのかなと思われるほど読みやすかった。ページも百ページ足らず。この問題に少しでも興味があるなら読んでおきたい気がする。

二十年間育ててくれてありがとう。

 子供がいつもより早めに起きて来たので誕生日おめでとうと声をかけると、二十年間育ててくれてありがとうと言ってハグしてくれた。そのときは我慢したけど後で泣いた。ありきたりな言葉かも知れないけどこれはやっぱりぐっと来る。二十年無事に育ってくれてありがとうと返した。それから、これからもがんばれとも。今日はそれだけでおなかいっぱい。

感慨深い。

 明日と言うか後一時間足らずで子供は二十歳になる。もう二十年も経ったのか。出産のときの話は十六年も前にこのブログに書いている。ご興味のおありの方は「8月に生まれる子供」でブログ内検索なさってみて下さい。でも結構恐い話みたいなのでそういうの苦手な方はご遠慮いただいた方がいいかも知れません。生まれて以降はどうすれば子供のためになれるかを考え続けた二十年だったような気がする。それはまたどうすれば家人のためになれるかを考え続けた年月とも言い換えられるかも知れない。子供の育て方について家人と意見が対立したというのは本当にわずかでそうなるとあとは子供に対して具体的に何をしてあげるかという問題しか残らないので僕が余分に何かをすればその分家人の手間が省けるという構造がずっと続いて来た。だから子供のためにと家人のためには僕の中ではほとんど同義だ。そしてそのふたつが同義であるということは本当に幸せなことなんじゃないかと思う。申し訳ないけどこの点ではうちは幸せな家庭だと思う。その、貧乏ではあるけどね。
 その幸せの元は何かと大変僭越ながら考えると想像力とある程度の考えの古さじゃないかと思う。想像力が乏しければそもそも思いやりが乏しくなる。相手の痛みを自分のもののように感じる、というのはもしかしたら不可能かも知れないけど、それに近づいて行くことはできるし大切なのは近づいて行けるかどうかではなく近づいて行こうという意志だ。それがあればおそらく決定的な失敗は避けられると思う。ある程度の古さというのはあまりに個人に分断されていないということだ。これも最近のブログを見てて思うことだけど皆さん自分の欲望を肯定しすぎる。共同の生活を成り立たせるためには個人は過度に個人でいない方がいい。少し昔の譲り合いみたいな考え方がある方が家庭を円満に続けて行けると思う。ドストエフスキーは気に入らないかも知れないけど文学なんかより生活の方が大事に決まってる。

疲れた。

 昨日は塾で朝まで徹夜して朝食を取りにいったん帰宅した後午前中から授業。きついんじゃないかと思ってたけどそれほどでもなくてお昼は一杯飲んでからぐっすり昼寝できた。午後も授業があり家人の体調が優れないので授業後に夕飯の買い物をして帰る。まいばすけっと筑前煮がおいしくて最近家人とふたりではまっている。たまたま目に留まって買ったらすごくおいしくて今は週に二、三回は食べてると思う。里芋一個じゃなく二個入れてくれたらふたりで分けられるんだけどな。今は半分こしている。そのかわり三つ入ってるにんじんは二個に減らしてくれていいから。それでフジテレビの「ラフ&ミュージック」を結構大笑いしながら観た。今夜の二夜目も楽しみ。今朝は珍しく9時半くらいまで眠れてよかった。たいてい8時までには目が覚めてしまうことは前にも書いた通りだけど前の日の徹夜が効いたのかも知れない。夏の終わりは毎年そうみたいだけど夏期講習の疲れがやっぱり出てる気がする。朝食後はブログを読みに回ったりテレビをぼんやり眺めたりしてそう言ってよければ無気力に過ごす。飯島真理さんのライブは昨日終わって今日のエントリはそれに触れたものだった。結局この日まで毎日ブログを拝見していたことになる。一時はどうなることかと思ったライブも無事開催できてよかった。終わってみるともしかしたら自分は聴きに行きたかったのかも知れないなと思った。ただ飯島さんのすごく長いキャリアのうちのほんの出だしのいっときだけのファンに過ぎないのでほとんどの曲を知らないだろう。それでもせっかく何かの、リン・ミンメイの縁でファンになり最近もずっとアルバムを聴き直してたんだから。間もなく飯島さんはロサンジェルスに帰られることだろう。また遠くからそのご活躍をうかがうことになると思う。なんかねえそういうところ変に消極的なんだよね、いつものことながら。それと最近五十代くらいの早期退職者のブログをいくつか見てる。何か参考になることがないかなあと思って。でも結局のところそういう人の多くは予めきちんと用意をし覚悟を持ってそういう生活に入られる訳で親子三人で一年食いつなげるかどうかわからないくらいの退職金だけで突然リストラされて一から個人事業主を始めるのとはそもそも前提からして違いすぎる。夕飯の写真とかアップしてるのを拝見するとざっと見積もっても僕の夕食の五倍から十倍くらいお金がかかってるように見える。僕なんか三個パックで78円の納豆と生卵一個とお茶碗軽く一杯のご飯だけの夕食もそう珍しくない。まあそれは節約ばかりじゃなく食が細くなってしまったことが大きいんだけど。という訳で特に参考になるということもなくこう言っては申し訳ないけど惰性で読ませていただいている。なんかぐだぐだになって来たな。やっぱ疲れてんのかな。

秋の虫が鳴いている。

 今午前3時33分だ。教室の外では秋の虫が鳴き始めている。午前2時過ぎに子供が教室から帰って来た段階で普段は熟睡してるんだけど今日は全然眠れなくて悶々としてたのでベッドを抜け出して家人に断ってから子供と入れ替わりのように教室にやって来た。ノートパソコンも持って来た。それでパソコンで音楽を聴きながらぼーっとしてたんだけど何か書こうと思ってエディターを立ち上げた次第。BGMはシーナ・イーストンの「Telephone」に変わる。その前はライオネル・リッチーの「All Night Long」だった。時代を感じるけどこの辺の曲は聴いてて本当に落ち着く。
 「曲は・・・に変わる」というのは新井千裕さんの大好きなデビュー作「復活祭のためのレクイエム」の居酒屋でのシーンで何度か繰り返された表現でなんて言うかもうリズムが体にしみこんでいて気がつくと真似して使っている。曲はヴァン・ヘイレンの「Jump」に変わる。すごいヒットナンバーだったけどもう今となっては誰も聴いてないかも知れない。
 今日は飯島真理さんの渋谷でのライブの日だけど仕事で行けないのでチケットも買ってない。ブログを拝読すると日本に帰っていらっしゃるのもとても大変だったみたいだ。陰ながらライブの成功をお祈りしている。曲はエイス・ワンダーの「Stay with Me」に変わる。ヒットした当時は「エイス」という名前は英語圏で女性の名前としてポピュラーなのかと思ってたけど最近綴りが「Eighth」だとわかって「Eighth Wonder」じゃあ「八番目の不思議」ということなのかなと改めて思い至った。詳しい意味は全然知らないし想像もつかない。「七年目の浮気」みたいなことなのかも知れない。そんな訳ないか。どちらにしてもいい曲だ。お察しの通り酔っ払って書いている。曲はノーランズの「I'm in the Mood for Dancing」に変わる。これもよく耳にした曲だ。
 塾の近くに飲み物の自販機があって数年前設置されてすぐに買ったら数字あわせに当たってもう一本もらえた記憶があるんだけど最近そこのアイスティーを何年かぶりに買ったら午後の紅茶よりやや甘さ抑えめでおいしくて二、三日前にも買いに行ったら売り切れだった。それが昨日は補充されていて買って飲んでおいしかったんだけどそのカフェインにやられて今夜は眠れないのかも知れない。最近気づいたんだけどカフェインには滅法弱いみたいだ。学生の頃は喫茶店で焙煎のしっかりしたコーヒーを昼間二杯か三杯飲むのが日課だった。それで夜眠れなくて朝方まで本を読んでてそれでも眠れなくて村上春樹さんの小説をまねてウィスキーをグラスに指何本分か注いで一気飲みして無理矢理寝たのが今の寝酒の起源。でも眠れないのがコーヒーのせいだとは当時気づいてなくてコーヒーは日課として飲み続けていた。カフェは中立的領域で、という「トニオ・クレーゲル」の一節に影響を受けてたんだから病膏肓に入る。曲はトトの「Rosana」とハービー・ハンコックの「Rock It」を経てクール・アンド・ザ・ギャングの「Joanna」に変わる。「Joanna」いい曲だなあ。それでコーヒーは最近避けていた。でもペットボトルの紅茶でも眠れないなんて我ながら恐れ入る。個人的に眠れないことに対して極度の不安があるみたいでそれも今考えるとトラウマがあって小五のときに急性腎炎で入院する前の一ヶ月くらい夜全然眠れないことが続いたのがそれだ。因果関係は不明だけど自分の部屋で寝ていて眠れなくてだんだん家族も寝静まって行くのを物音で感じながらまんじりともしないのはすごい恐怖だった。蚊取り線香の煙が幽霊に見えて大声で母親を呼んだ記憶もある。そのまま入院してしまい退院すると普通に眠れるようになっていた。なんだったんだ一体。曲は何曲かを経てシーラ E.の「The Glamorous Life」に変わる。中島美嘉さんの「Glamorous Sky」もいい曲だよね。グラマラスつながりなだけだけど。要するにすごい臆病なのかも知れない。時刻は午前5時になろうとしている。曲はポリスの「見つめていたい」に変わる。

来ない。

 最近入った中二の男子生徒さんは小六のときに半年ほど不登校だったということで見かけはおらついた感じなんだけど実は優しい性格で逆に言うとなんかこう弱々しいところがあり塾も休みがちで最近はもう一ヶ月以上顔を見せてない。成績は下の中くらいで5教科はほとんどが五段階評価で2だとお母さんは言う。だから早急にてこ入れが必要なんだけど授業に来ないのではどうしようもない。困ったのは全然来ないのにも関わらず毎月きちんと月謝が振り込まれることで特別に普通の生徒さんより週に一日多く通ってもらう約束なので月謝も通常より高めにいただいている。なのに来ない。普段はメールでやりとりしてて本人が来なくなってからはお母さんからも何の連絡もなくて塾を続けるのやら辞めるのやらわからない。ただ月謝が振り込まれてるところを見ると辞める気はないんだろう。こちらから辞めたらどうかと切り出すのもなんか違うような気がしてどうしていいかわからないまま静観してる。いつか返すことになるかも知れないと思って払い込まれた月謝にはここ二ヶ月分ばかり手をつけずにとってある。
 そろそろ夏期講習も終わろうとしている。今週水曜日に女子の中学生がひとり午前中の講習に来なかったので昨日通常の授業にやって来たときに昨日はどうしたんですかと尋ねると来られなくなったと親に連絡してもらったはずですと言う。そういう記憶はなかったけどそうですか、それじゃあこちらの思い違いですねと答え今日も夏期講習が予定されていたので明日はいらっしゃいますかと尋ねると来られませんと答える。それでその子の分の教材は用意してなかったら今日時間になったらまんまとやって来て、あわててあれいらっしゃれるようになったんですかと尋ねると午前中はお休みでその分午後から来ましたと言う。でも今日の午前中は夏期講習はお休みで講習の申込用紙にも日程のことははっきり書いてあったはずなのでちょっと何を言ってるのかよくわからない。でも彼女のためではなく一般的に生徒さんたちの手が空いてしまったときのためにつくっておいた教材をとりあえずやってもらうことにした。夏休みの宿題が終わらないので自習に来たいという中学生がひとりいてほんとに自習で済めばいいんだけどいろいろ質問されるのでその対応と予定通りに夏期講習にやって来た生徒さんの対応と通常の授業を受けにやって来た小学生の生徒さんの対応があって割にてんてこ舞いが予想されてたところへその突然の女子生徒さんの対応が加わって一時はかなりきつい展開となった。二学年の同時進行ならなんとかなる。でも三学年の同時進行となるとこれはもうほとんど不可能で四学年揃ってしまうと授業はあっけなく破綻する。だからなるべく多学年がかぶらないように配慮してるんだけどそれでもこういうことが起きる。しかもおそらく自分には落ち度はないと思われるだけにやはり腹が立つ。でもその持って行き場もない。
 宿題の終わらない中学生は社会科の宿題でスーダンアフガニスタンについてレポートしなければならないんだけどマイナスなイメージのことは書いちゃいけないしばりがあると言う。でも今アフガニスタンについて何か書いてマイナスのイメージに触れないというのはとてもじゃないけどできることじゃない。タリバンに女性と子供に米軍撤退に起きたばかりの自爆テロをスルーしてこの国のことを書くなんて不可能だ。それでスーダンについて書くことにしたらしいんだけどスマホで調べるとこちらもかなりひどい。内戦にクーデターに紛争の歴史だ。経済も破綻してるとある。なので歴史は措いとくことにして肥沃なナイル川と農業のこととイスラム教信者が多いことでごまかすことにした。絵も描いて持ってくと言うのでスマホで画像を探してやりピラミッドのような建造物とナイル川流域のものをそれぞれ一枚ずつ描かせた。塾の色鉛筆も貸して色もつけさせるとなかなか立派な絵に仕上がる。しかしなんでよりにもよってスーダンアフガニスタンの二択になったかねえ。学校の方針が理解できないよマジで。

来た。

 山本義隆さんのご著書を三冊図書館にリクエストしたらもう今日届いたと連絡が来た。近く取りに行きたい。今はずっと読みたかった本を読んでるんだけど今のところ訳がわからない。まとめて読書の時間が取れないので自覚はないけど割に忙しいのかも知れない。

リハビリ。

 そろそろ本を読まなきゃと漠然と思ったんだけどどんなジャンルにせよいきなり本格的なものだと途中で挫折しそうなくらい長い間読書と離れていた気がしたのでリハビリと思ってこの前の「ダンとアンヌとウルトラセブン」を読んだらさすがに抵抗なく読めた。同じ日に図書館で借りたのが山本義隆さんのこの本。山本さんは駿台予備学校の物理の講師をされていて親友のSSが予備校当時(もしかしたら今も?)私淑していたので知っている。僕自身は文系だったので講義を受けたことはない。ただ当時話題となっていた新潮社の「フォーカス」という写真誌に取り上げられたことがありそれは読んだ。東大全共闘議長だった経歴を持たれている。ミーハーだけどそれだけでなんだかかっこよく思える。現在は科学史家という肩書きもおありだ。
 リニア中央新幹線という巨大プロジェクトがいかに時代に逆行した愚かなものであるかということが一応のテーマだ。建築にかかる費用、環境破壊、走らせるために必要な莫大なエネルギーの調達、そして不安な安全性。どの観点からしてもこのプロジェクトが現在も破棄されていないことがにわかに信じがたい。もちろんそれにはそれなりのからくりがある。そしてそれは原発推進に向けられた国の政策の矮小なカリカチュアでもある。古くは文明開化以降のそして戦後復興からのわが国の民意を無視した政官そして大企業の利益追求並びに国威発揚への欲望が原発推進のまたリニア開発の背景になっている。最終章で描かれるこの指摘の方がより本質的でショッキングなように思われる。福島の原発事故やコロナ禍を経験しながら日本は何十年も昔の思想に依拠したまま今も尚突き進もうとしている。でもそれは資本主義の原理から言っても不可能だし間違いだ。ではそれに対する処方箋とは?リニア中央新幹線原発事故とコロナ禍という一見つながりを持たない三者が日本の政策という観点からすると同一の線上にある問題として浮かび上がる。読んでいておもしろいけど考えると恐い。山本さんのご著書はおもしろそうなものが多いのでまとめて読むのもいいかなと思っている。また個人的にはこれでみそぎは終えたことにして次の本に進みたい。随分前に買ったあの本だ。

そういう人もいるんだね。

 授業中にいきなりドアを開けて入って来たのは見覚えのない若い女の人で小さな男の子と女の子を連れていた。どんな授業なのか見せて欲しいということで座って見てもらうことにした。聞くと上の男の子は小一だそうで聞かなかったけど下の子は三、四歳に見える。生徒さんが数人来てて忙しかったけど新規のお客さんになるかも知れないので精一杯丁寧に応対する。小一の教材を出して解いてもらいつつ下の子の気が散らないようにとっておきのしかけ絵本を見せてあげ生徒さんたちの答え合わせをしながらお母さんの質問にも答える。それで二、三十分後に帰って行った。入塾になるかどうかはわからないけどもちろん入ってもらえたらうれしい。と言うかお母さん結構な行動力だなと思う。そういう人もいるんだね。

急がなければ。

  久々に図書館。リクエストしてから順番待ちで来るまで三ヶ月近くかかった。本当に懐かしさを呼び起こされる本だ。演者の述懐というところが興味深い。演者ばかりでなく制作サイドのこういう本もあったらおもしろいと思うけどおそらく今ではほとんどの方が鬼籍に入られてるに違いない。僕は四歳から五歳にかけて本放送を観ていたことになる。でも子供心にアンヌ隊員は本当にきれいだと思っていたし今でもその思いは変わらない。この本を読むとアンヌ隊員は常にモロボシ・ダン隊員を気遣う存在であったようなのでそんな優しいところにも感じ入る部分があったのかも知れない。今更ながら「ウルトラセブン」は自分にとって本当に特別なコンテンツなんだと思わされた。これに匹敵するのは同じシリーズの「ウルトラマン」(初代)と「帰ってきたウルトラマン」と急に路線が変わるけどアニメの「赤毛のアン」と「あしたのジョー2」くらいだ。(結構あるな。)時代と自分の年齢という運命としか思えない組み合わせで何かが忘れられないほど自分の胸に刻みつけられるということだ。日付が変わるまであと二分。急いでアップしなければ。もちろん酔っ払って書いてます。

副反応は続く。

 午前中は仕事。副反応で買い物に行けそうにない家人と昼前に待ち合わせて近くのコンビニへ。平熱だけど熱っぽいということで自分もそうだったので同様の副反応のように思われる。家人はアルコールを控えて昼食後昼寝。随分よく寝ている。起きて体温を測ると37度7分ということでまた微熱が出る。繰り返しになるけどこの熱は温度の割につらいので夕飯の仕度も全部僕が買いに行くことにする。今は午後の授業の最中。終わったらちょっと遠回りして買い物をして帰る予定。

家人の二回目ワクチン接種。

 今日は家人の二回目のワクチン接種で午後からなのでどこかでお昼を食べてから打ちに行こうということで午前中はうちにいる。仕事は夕方からで午前の時間帯はない。子供はまだ寝ている。ちなみに子供の副反応は接種部位の痛み以外何もなかったようだ。当日も翌日も何回か熱を測ったけど平熱だった。とりあえず胸をなで下ろしている。だから接種後の家人の具合によっては夕飯は子供がお弁当を買って来てくれることになっている。僕は冷食のパスタ。久しぶりだ。最近読んでる子育てブログで夏休みの昼食のことが書かれていてお子さんが猫舌で熱いものは相当冷まさなければならないので勢い冷たくて簡単なそうめんばかりになってしまう、でもそうめんの付け合わせというのがなかなか難しくて栄養が偏らないか心配という趣旨の記事があった。子供が小学生や中学生の頃は家人も夏休みのお昼には相当頭を悩ませていた(その点給食というのは本当にありがたい。)のを覚えている。でも結局繰り返す日常の力と仕事を始めたこと、あと正直加齢のせいもあるんじゃないかと思うけど最近は買って来た総菜をレンジであっためて食べさせることも多くそうめんのときもそうめん自体との相性とか全く気にせず唐揚げとかギョーザとかを一緒に出す。子供は好物なら喜んで食べるのでそうめん唐揚げセットでもそれなりに成り立っている。だからそんなコメントをした。このブロガーのブログもイラスト入りでかなり手がかかっていて仕事量としては結構なものになりそうなので家事では手を抜けるところは抜いても大丈夫ということを伝えたかった。もっとも最近では他のブログにコメントをつけるというのも滅多にしなくなった。自分の持つ情報が相手の役に立ちそうだという確信がよほどしっかりある場合を除いて。理由はコメントをつけた側の方がいろいろな思いを抱えてしまいそれが面倒になったからだという気がする。
 以下追記。結局出かけるのが早過ぎてケンタッキーで昼食をとった後まだ二時間ほど余ったので近くの商業施設をうろうろする。ある雑貨店でなぜか「トムとジェリー」のミニフェアが行われていてぬいぐるみとかポーチとかいろいろ置いてある中に生成りのコットンの小さめのトートバッグと似たデザインのマグカップがあってどちらもとてもかわいい上に値段もそんなに高くなかった。もともと家人はトムジェリ好きなので買ったらと勧めたら珍しく買うと言って買った。ふたつで千七百円くらい。僕は結構するけど家人は衝動買いというのはあまりしないタイプででもこのアイテムは相当気に入ったらしい。そういうのが見つかってよかった。ワクチン接種には行ってみるもんだ。それからカフェでかき氷を食べたり施設内のベンチで休んだりしながら時間をつぶし定刻通りに会場に着く。僕も付き添いで着いて行く。後の展開は大体同じ。ただ注射がとても痛かったらしい。僕は二回目の注射はほとんど痛まなかったのでこれは二回目だからと言うより打つ人によるものと思われる。今は夜の仕事中でさっきラインしたら37度4分の熱でややきついらしい。早く峠を越えるといいと考えている。

子供の一回目のワクチン接種。

 子供は小児ぜんそくがあったものの今は通院してないので基礎疾患があるとは見なされず普通の十代の枠でワクチン接種を予約しようとして一度目は定員に達して予約できず先週の二回目でぎりぎり予約できたことはすでに書いた通りだ。その一回目の接種が今日で僕は仕事なのでついて行けず家人が一緒に行った。すでに接種が済んで特に変わったところはないということだ。でも二、三日は注意して様子を見なければならないと思う。とりあえず今日はいつもに比べて早起きして出かけたので午前中の仕事を終えて僕が帰宅する頃には昼寝してるんじゃないかと思う。今は生徒さんたちが入試の過去問を解いてるのを待ちながらこれを書いている。
 明後日は家人の二回目の接種でこれにはついて行こうと思っている。この前の僕くらいの副反応が出ただけでも結構つらかったので家人の副反応がそれよりひどかったらと思うとかなり心配だ。でも二回目が終わるとそれなりに安心と言うか別に気を緩める訳でもないんだけど重症化のリスクが下がると思うとやはり少しは気が楽になる。ニュースで見る自宅待機の患者さんの中には本当に苦しそうな方もいらっしゃって気の毒でならない。子供の頃に肺炎で息が苦しかった記憶がかすかに残ってるので尚更そう思うのかも知れない。子供の小児ぜんそくも見ていて本当につらかったから子供が中等症とか重症化とかなったらいてもたってもいられないだろう。そんな目にだけは遭わせたくない。早く二回目の接種が終わらないかとしばらくはそればかり考えていそうな気がする。追記あるかもです。

夏休みの子供、もうすぐ二十歳編。

 一浪して今春かろうじて大学生になった子供は今月末で二十歳を迎える。学期中はほとんど休まず大学に通い友だちができないのが悩みみたいだけどもともとどこにでも臆することなくひとりで出かけて行く子なので親としては特に心配してない。定期を持ってるので学校帰りに特になんでもない駅で途中下車してあたりを歩き回ってると言う。すごくおいしそうなおそば屋を見つけたので今度時間があるとき食べに行くとか楽しそうに話してくれる。週に一度日曜日高校のときの友だちと池袋へ豚骨ラーメンを食べに行きその後午後を塾で一緒に過ごしてるようだ。これは学期中もそうだったし夏休みに入ってからも変わらない。ひとりでラーメンを食べに行くようになったのは高校に入ってからだろうか。もっと前中学生の頃だったろうか。覚えてない。学期中は朝早い日もあったけど夏休みに入ってからはほぼ毎日昼近くまで寝ている。春にやったスーパーのバイトで懲りたようでそれ以降バイトをやるとは言わない。やらなくて済むならやらなくていいんじゃないかと思って見ている。しかるべき年になればいやでも毎日仕事しなければならないんだしそれまでは好きにしてればいい。刺身とお寿司が大好きで以前はよく回転寿司を食べに行ったものだけどコロナ禍でここ二年近くは控えていてその代わりデパートやスーパーで折り詰めを買って来て食べさせると大喜びで食べる。サーモンがいちばん好きみたいだ。ただ甲殻アレルギーが出たことがあり火を通してあれば問題ないと医者は言うんだけど一応エビやカニは避けている。折り詰めに入っていればそれは家人か僕かが食べる。そう言えば一時期僕が高校生の頃父親が勤めから帰ってくるときによく寿司屋の折り詰めを買って来てくれた。僕が喜んで食べたからだろう。父親も今の僕と同じような思いで我が子の好物を買って来て食べさせていたんだろうと思うと胸が詰まる。その父親も今年亡くなった。子供のこともすごくかわいがってくれた。
 太ってるのを気にして最近夜ウォーキングを始めたことは前にも書いた。家人がスポーツウェアの上下を買って来てやり毎晩それを身につけてかなり長い距離を歩いてるようだ。食事も少し減らし気味にしてるようだけど親というのはやはり子供におなかいっぱい食べて欲しいと思うもので僕なんか以前と変わらぬ量を買って帰りそうになってよく家人に止められる。まあ本人もやる気でいるみたいだしここは協力してやらなければならないんだろう。
 小さな男の子を連れたお父さんやお母さんを見かける度にうらやましくて仕方ない。すごく楽しくて充実してるだろうなあと思う。でもそれはほんとは錯覚で育ててる最中というのはこれで正しいんだろうかという自問の連続でもある。それでもやっぱりうらやましい。今からこうなのだから孫ができたらさぞかし溺愛することだろうと先が思いやられる。孫だったら女の子でもきっとすごくかわいいに違いない。でももうすぐ二十歳の自分の子供だって小さい頃と同じようにかわいい。それは一生変わりないんじゃないかと思う。