指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

Googleなんて使わない。

 アメリカ司法省がGoogleを日本の独占禁止法に当たる反トラスト法に違反するとして提訴したと言う。テレビのニュースで聞いた僕の耳が確かならばアメリカの検索サイトのシェアの90%を占めているそうだ。だとするとデファクト・スタンダードと言っていい気がする。でも個人的にはパソコンを使い始めた1996年以来ずっと検索サイトはYahoo!を使い続けている。当時の検索サイトと言えばYahoo!くらいしかなかったしそれから二十年以上特に変える必要を感じなかったからだ。Yahoo!で気に入ってるのはトップページのニュースのヘッドラインで、割にシリアスなテーマからどちらかと言えば下世話なお話まで文字通り硬軟とりまぜて取り上げられておりヘッドラインだけ読んでもそこそこ楽しいし詳しく知りたければワンクリックでより細かいところまで読める。という訳でスマホiPhoneを使ってるけどそこでもYahoo!で主に検索している。でもその話をしたら家人はスマホYahoo!を使ってる人なんているのと驚いたように言う。かく言う家人はもうだいぶ前からパソコンではGoogleを使ってるしスマホは初めからGoogleなんだそうだ。もしかしたら日本でのシェアも相当な数字になってるのかも知れない。けどまあ個人的にはこれからもYahoo!で行く。Googleなんて使わない。頑迷と言われても構わない。

Hall and Oatesの「Rock'n Soul Part 1」。

Rock 'n Soul Part 1

Rock 'n Soul Part 1

  • アーティスト:Hall & Oates
  • 発売日: 2017/12/01
  • メディア: CD
 

  Hall and Oatesの名前を知ったのは「Maneater」がヒットして当時毎日のようにラジオで音楽を聴いてて何度も耳にしたせいだったと思う。今調べるとリリースは1982年僕は18歳から19歳になる年ですでに上京して一年目の浪人生活を送っていた。実を言うとそれほど好きな曲ではなかった。この頃は多分Duran DuranとかCulture ClubとかWham!とかが出てきたんだと思う。今では誰もそれについて触れないけどオーストラリアのMen at Workなんかがすごく癖のある曲を歌っていたしBilly Joelもまだ定期的に曲をリリースしていた。Policeなんかもよかった。Michael Jacksonの大ヒットアルバム「Thriller」は調べるとこの年の12月1日に出ている。つまり簡単に言うと聴く曲にはまったく不自由してなかった。わざわざHall and Oatesを聴く必要なんて全然なかった。少なくとも僕にはそう思われた。ところが翌1983年10月(これも今調べた。)にこの「Rock'n Soul Part 1」がリリースされるとその一曲目の「Say It isn't So」が個人的な偏愛スポットに見事にはまる。この頃はある種のリズム・セクションのサウンドに強烈にはまっていていろいろマイナーな曲も偏愛していた。たとえばThomas Dolbyの「彼女はサイエンス」(「She Blinded Me with Science」だったかな。)とかFreeezeの「I.O.U.」とかマイケル・センベロ(綴りがわからない。)の「Automatic Man」とか多分続けて聴くとどういう好みなのかおわかりいただけると思うんだけどそのライン上にその曲も位置していた。初めはラジオで聴いていいなあと思ってたんだけどそのうちレンタル屋でアルバムを見つけて借りてきてカセットに録音して本当に何度も聴いた。でも結局Hall and Oatesのファンになった訳でもなくてこのアルバム自体も全体としては退屈な曲も結構あると今では思う。もちろんいくつかは今でも大好きだけど。そうやって昔好きだった曲をひとつひとつ集め直すのは思い出を補完しているようにも思えるし逆に意外と前向きな行為なんじゃないかという気もする。

結構予約が入る。

 今度出る家人の新刊に複数の通販サイトで結構予約が入っていてどこもランキングの割と上位に来てるそうだ。それは家人の新作を楽しみにしてる読者が一定数ついてることを意味すると僕は思うんだけどそういう点では今でも自己評価の低い当人はそうなのかなといった感じで受け止めている。そりゃそうでしょ。たくさん売れたらいいな。

「からかい上手の高木さん」 Music Collection。

「からかい上手の高木さん」Music Collection

「からかい上手の高木さん」Music Collection

  • アーティスト:堤博明
  • 発売日: 2018/04/18
  • メディア: CD
 

  図書館のサイトで出てきたので喜んで取り寄せてさっき聴いたんだけどこれはアニメのBGM集だった。高木さんの声をあててる高橋李依さんのカバーソングを収録したのは「からかい上手の高木さん」 Cover Song Collectionというタイトルで完全に別物だった。しかも図書館で検索してもこちらは出て来ない。無念。
 一緒に借りたHall and Oatesの「Rock'n Soul Part 1」はベスト。レンタルしてカセットに録音して随分聴いたけどあれはいつ頃だったんだろう。懐かしいしいくつかの曲は今でも胸に染みる。「Private Eyes」とか「One on One」とか。
 それで懐かしくなってディスコに行ってた頃よく踊ったEarth, Wind and Fireの「Fall in Love」や「Let's Groove」の入ったベスト盤もリクエストしてみた。「September」や「宇宙のファンタジー」も収録されている。楽しみだ。
 今日村上春樹さんが訳されたジョン・グリシャムの作品を本屋で見つけたんだけど今月はキャッシュがショート気味なのでとりあえず買うのは見合わせ。明日バイトに行くとバイト先の近くに結構ポイントの貯まってる書店があるのでそこでポイントで買うつもり。という訳で明日からまたバイトが始まる。

採用される。

 昨日書いたバイトに採用された。

 これまでのバイトは家庭教師を除けば清掃にスーパーの商品陳列とまあ誰にでもできる仕事で誰にでもできるからこそ僕にもできてある意味ありがたかったとも言えるしそのときはそれでいいと思っていた。でもそういうバイトを続けてると何かがすり減って行く感覚があり二度まではそれに耐えていたが三度目はもうやだなと無意識に感じていた気がする。それで自分で応募しといて採用されたら辞退するという一見矛盾したことを繰り返した訳だ。応募するときはお金を稼がなきゃという気持ちが勝ってるけどいざ採用されてその仕事をしている自分を想像し始めると前の二回と同じすり減り方をしそうでいやになってしまう。それが今回はなけなしの自分のスキルを生かせそうということで前向きになれたんだと思う。採用されてうれしいしどういう仕事になるのか楽しみでもある。昨日も書いたように時給は高くないんだけど自分の仕事にやりがいと誇りを持ちたいというもしかしたらとてもくだらないかも知れない希望に抗うことができなかった。

また面接に行く。

 最寄りの駅周辺でなんとなくアルバイトを探し続けてもう一年が過ぎた。この間に確か四回採用になったけど結局どこも気が進まずに辞退した。ところが最近辞退する余裕がないほど経済的に逼迫してきたのでちょっと本腰を入れて探し始めた。ただし最寄りの駅の近くではもうほとんど清掃かマンションの管理人か保育士か高齢者のケアしか仕事がない。管理人と言っても基本はゴミ出しと共用部の清掃だから清掃の仕事と変わりないしそれはもう前に一度やって懲りたと言えば懲りた。保育士は資格がないし高齢者のケアもできることなら避けたい。(大体人と関わるのが得意じゃない。)ということで少し範囲を広げて探してみた。するとウェブ通販の会社の仕事が二駅ほど離れたところで見つかった。メールを使っての受注業務から発送業務までを任せたいとのことだった。通販のサイトなら前の会社で社長の鶴の一声の下まるで見通しも勝算もないままに全部で三つもつくらされたことがある。他にスタッフがいなかったのでコンテンツの制作からCGIの設置から受注から在庫管理から発送からデータ管理まで全部ひとりでやった。ウェブ裏技さんのカートのシェアウェアを使ったときは楽だったけど会社で購入した通販のソフトウェアを使ったときは大変だった。商品登録をCSVファイルで行わなければいけないんだけどこのCSVファイルを当時の社長がつくりたいと言うのでまあ少しは助かるかなと思ってお任せした。ところがこのデータが間違いだらけで(あれだけ雑な仕事でよくプログラムなんか書けたもんだと感心する。)間違いがあるとファイルの読み込みが止まってしまう。止まるとCSVファイルを開いてどこがどう間違ってるかを何百点もある商品データの中から探し出して修正した上また一から読み込ませ直さなければならない。いちばん多かったのは半角で登録すべき文字列を全角で入力してるというケースでどうやら半角と全角を適当にごっちゃに使ってるらしい。(それだけ雑な仕事で以下略。)この作業にものすごく時間と手間がかかったんだけど社長にもっとちゃんとやれと差し戻す訳にも行かないしひとりで徒労感と戦いながらそれでもこつこつ直してるとデータを出したのになぜサイトに反映されないのかと当の社長からせっつかれたりしてあれは本当につらかった。(この社長とは今から思えばもともと馬が合わなかった。)売上げだって大したことなくて結局三つとも閉鎖ということになった。残ったのは見切り発車のサイトがどれだけ無駄な作業を必要とするかという教訓(それは本当に膨大な作業だった。)と通販サイトの基本的なあり方と流れに関する知識だけだった。でもまあ後者はうまく行けば今回生かすことができる。何事も経験だ。
 履歴書と職務経歴書をメールで送れということだったので送ったら電話がかかってきてダブルワークが希望なのかとか時給のこととか時間帯のこととか基本的なことを確認されその後メールで面接の日時の候補がいくつか送られてきた。その中から今日を選んで出かけると全部で十名足らずの会社とのことで直接社長との面接だった。採用担当者がいるんだと思ってたのでこれにはちょっと驚いた。社長以外は全員女性でしかも年齢は四十代までらしい。こりゃちょっと無理かと思ったし最初は確かに好感触ではなかった。ただすごく回りくどい言い方で三十分近く説明されてやっとわかったのは要するに、うちの会社で満足なのか、もう少しいい条件の仕事を探したいんじゃないのか、ということのようだった。確かに時給は都の最低賃金に限りなく近い。でもパソコンを使った仕事は全然苦じゃないし通販サイトの経験も生かせるしウェブサーバを扱うところまで含めた仕事というのは探すと結構珍しくて貴重な気がする。時間もかなり融通が利くようで慣れたらリモートワークもできると言う。バイトに対する僕の偏った要望をかなりな程度満たしてもらえている。うちからは最初の想定よりだいぶ遠いけど通えないほどじゃないし交通費ももらえる。雑用みたいな仕事になるけどと言われたけど今までのバイト先でも常にいちばんの下っ端でいいように人に使われてきた訳だから別に気にならない。改めてこう書いてみると正に願ったり叶ったりの職場みたいに思えて来る。
 という訳でこちらとしてはなんの不満もないということを伝えた。それでできれば来て欲しいけどまだ面接希望者が残ってるので数日待って欲しいというところまではこぎ着けて帰ってきた。今週中には結果が出るそうだ。採用になるといいなと久々に思っている。
 面接後その辺をぶらぶらしてた家人に電話して待ち合わせこの前テレビで観たSUBWAYのピザサブを食べに行った。結構並んでたけど僕たちが並び始めてからさらに列が伸びたのでまあラッキーな方だったかも知れない。ふたりともベーコン・イタリアーナにしたけどこれは本当においしかった。次はまた別のを食べに行きたい。

Bump of Chickenの特別なささり方について。

 最近Bump of Chickenを聴き直し始めた家人が「天体観測」の世界観がすごく自分にささると言う。僕も曲はなんとなく知ってるけど聴き込んだことはないのであーそーなんだー程度の反応しかできない。こういうのはまあ夫婦間の暗黙のルールみたいなものであるステートメントをするのは勝手だけどそれに共感を求めることはお互いやらないことになっている。それをし始めると何かと余計な気をつかわなければならないし少なくとも僕側からするとそうなったらちょっとめんどくさい。たとえばこの前の「夏に恋する女たち」にしてもたぶん家人は聴いたことがないと思うのですごくいいと言ってもあまり(もしくは全然)伝わらないと思うから何も言わない。それより前ゴダイゴの「Monkey Magic」を聴き直したときその前奏のハイテンションぶりに感動してこの曲は家人も知ってると思ったのでそのことは伝えてみたけどそれはまあ自分が最近こんなことをやってるという報告以上のものではなくて家人の方もそう言えばそうかも知れないねーくらい返しておしまいになる。こちらもそれで気が済む。
 ところがその「天体観測」がなぜ自分にささるか不思議でずっと考え続けていたんだろう、それからなん日か経った昨日になって家人はやっと見つけ出したらしい理由について話し始めた。正確な言い方は忘れたけど自分の小説に出てくる男性の登場人物の世界観に近いからということだった。そのひたむきに生きる姿勢のようなものが「天体観測」と共通してると言う。話がそうなるとちょっと興味をひかれる。僕は自分の中に女性の登場人物を持っていないし持ってない登場人物の世界観なんて想像もつかない。それはある種のペルソナのようなもの、と尋ねるとそれに近いかも知れないと答える。するとそれは物語をつくる者だけに許された特別な感じ方のように思えて来る。そう言えば最近家人はなんとなく小説家らしくなって来たように思う。締め切りの乗り切り方とか編集さんから依頼された書き直しへの対応の仕方とかそういうテクニカルなことばかりでなくなんて言うか自信のようなものに裏打ちされた言葉のある種の力強さを感じさせることがある。大体年に四編も五編もきちんと一冊になる作品(本であれ電子書籍であれ。)を書き上げることはやはり人を相当程度鍛えるんじゃないだろうか。もちろんこれからも夫婦としてある程度のステートメントについては特に共感せずに流して行くことになると思うけど感心せざるを得ない発言に対してはきちんと感心しながら暮らして行くことになると思う。これまでもそうして来たのだが家人の小説家度が増すにつれてそういう機会も増えて行くだろう。

「夏に恋する女たち」と麗美さんというシンガー。

  図書館のCDをいろいろ検索してたら大貫妙子さんの「夏に恋する女たち」を収録したアンソロジーを見つけた。この曲は同名のテレビドラマの主題歌でいつだったか(かなり若い頃じゃなかったかと思うけど。)再放送をまとめて観たときすごく気に入った曲だった。確か坂本龍一さんが関係してたと思うけど今調べると作詞、作曲は大貫さんご自身で編曲が坂本さんとのこと。すばらしい曲だと思う。今でもまったく聴き飽きてない。ちなみにドラマもおもしろく観た記憶がある。もう一度観たいとは思わないけど。このアルバムには他にEPOさんの「う、ふ、ふ、ふ、」や矢野顕子さんの「春咲小紅」なんかが入っていて気に入った曲順に変えて毎日聴いている。「夏に恋する女たち」、「う、ふ、ふ、ふ、」、「春咲小紅」。すごくいい。関係ないけど「春咲小紅」はYMOの「U・T」という曲と一部メロディーラインが似てる気がするんだけど調べたら「春咲小紅」に坂本さんはタッチしてないみたいだ。単なる偶然だろう。
 このアルバムに麗美さんという個人的には未知だったシンガーの「ノーサイド」と「青春のリグレット」が収録されていた。どちらも言うまでもなく松任谷由実さんの曲だ。これがどちらもとてもいい。いわゆるユーミン節と比べるとパワーでは敵わないかも知れないけど独特のしっとりした味わいがある。「ノーサイド」はユーミン版と似たアレンジだけど「青春のリグレット」の方はオープニングとエンディングにかなり大胆なアレンジが施されていてそれが歌詞の世界の解釈を大きく変えている。ユーミン版は何百回も聴いたと思うけどこういうストーリーだとは多分一度も思ったことがなかった。具体的に何が起きたのかはっきりとはわからないけどでもとても切ない話だということがひしひしと伝わって来る。これは本当に聴けてよかった。他にもいい曲がいろいろ入ってるけど結構期待していたシュガーの「ウェディング・ベル」は完全に聴き飽きていたというのが今日のオチ。こういうのは実際に聴き直してみないと本当によくわからない。

すごくおもしろかった。

 締め切りを延ばしてもらってそれでも締め切りの前日に一万字書いてなんとか作品を仕上げた家人は、それを読んだいつもクールだという編集者から思いがけず、すごくおもしろかったというコメントをもらってとても喜んでいる。それはほんとによかったと思う。すごくおもしろければ売れ行きもいいんじゃないかな。苦労してる姿を目にしてるのでたくさん売れてコスパが少しでもよくなるようにと祈っている。修羅場ができる限り楽になるように子供も僕も結構気をつかってるし。

アンという名の少女。

 NHKで「アンという名の少女」というカナダのドラマの放映が少し前に始まった。このタイトルだけではあるいはなんのことだかわからないかも知れないけど原題は「ANNE WITH AN "E"(「E」の字のついたアン)」ということでファンならこれが「赤毛のアン」の主人公が自分の名前に対して持つこだわりであることにすぐ気づくだろう。個人的に「赤毛のアン」は日本アニメーションがつくったテレビシリーズと村岡花子さんがなさった邦訳ですべて終わっているので映画化とかドラマ化とか特に興味はないんだけどどういう訳か家人が観たいと言うので一緒に観ている。個々の俳優さんのイメージについてはこれはもう完全に主観の問題なのでつべこべ言ってもしょうがない(でもダイアナ・バーリーは本当にひどい。ひどすぎると思う。)。それよりひっかかるのは演出の方で、原作に「based on(基づく)」とあるので原作にない演出がある程度含まれるのは予想されるところだけどその原作にない部分が物語をすごくシリアスで暗いものにしている。これからアンは様々な困難に立ち向かう訳だけどそのいちいちにこういう負のバイアスがかかって来るのだとしたら悪いけどとてもつき合いきれない気がする。村岡さんの邦訳は物事がこうまで暗く深刻になってしまう前に救いの方へ突き動かされて行く展開を(ギルバートの頭で石版を叩き壊したときとマシューの死の場合とを除いて。)描いているし日本アニメーションの作品もその雰囲気をきちんと読み取った上で忠実に再現できている。今回どうせアンをやるなら今までとは異なった何かを付け加えなければ意味がないという制作側の自意識が感じられるけどそんなつまらないものを実現させるくらいならあっさり企画倒れにして別の作品をつくった方がよほど気が利いている。こういうことを言うので家人からは原理主義者呼ばわりされているんだけどまあそう言われてもある部分仕方ないのかも知れない。

ちょっとお休み。

フォーク歌年鑑 1978

フォーク歌年鑑 1978

 

  再読もエッセイ集や紀行文のエリアに入って来ると酔っ払って読んでも内容を結構覚えてるしなんなら忘れてしまっても別に構わないのでそうなると読むのが面白くて午前二時とか三時とかまで起きて読んでいる。それで寝不足気味になったのでしばし読書はお休みにしてみた。それで何をしてるかと言うと図書館でCDを借りて来ては聴いている。特にその人のファンという訳ではないんだけどこれだけはすごく好きという古い曲がいくつかあってそういうのを検索しては借りて来る。たとえば矢沢永吉さんの「時間よ止まれ」とか久保田早紀さんの「異邦人」とかサーカスの「Mr.サマータイム」とかイルカ(もしくは伊勢正三さんのいた、風)の「海岸通り」とか挙げ始めたら切りがない。この前NHKで「時間よ止まれ」の誕生秘話みたいのを矢沢さん本人が語る企画が放映されていて個人的に手に入れたばかりの曲ということですごく興味深く見た。それはさておきこういう曲集めをするのに向いたCDのシリーズを図書館で見つけた。「フォーク歌年鑑」といって1960年代後半から80年代前半まで年ごとに編まれている(もっとあるのかも知れないけどとりあえず区立図書館を検索するとその年代のものしか出て来ない。)。もちろんその一年を完全に網羅したものではなく死角もたくさんあるんだけど逆にこちらの死角に入った曲を教えてくれたりしてそういうのも楽しい。さとう宗幸さんの「青葉城恋歌」とか岸田智史さんの「きみの朝」とかばんばひろふみさんの「sachiko」とかノーマークだったけどそのシリーズで見つけて今聴いてもすごくいい。歌詞だって全部覚えてる。それから大発見だったのがベッツイ&クリスというデュオの「白い色は恋人の色」。これはテレビで観た記憶がうっすらとあるけど僕は就学前だったはずだ。外国人女性ふたりでやや片言の日本語で歌うんだけど本当にきれいな声だし歌も上手い。一曲だけのリピートにしておいても三十分くらいは聴いていられる。ただし逆のケースもあって当時大ヒットしたからすごく期待して聴いてみたらすでに聴き飽きていたということもある。さらにその逆もあってもう聴き飽きてるだろうと思ってたのに改めて聴き直すと全く聴き飽きてなくて今でも心にしみ通る曲というのもある。これはもう聴いてみなければわからない。アーティストと曲名だけで、ああ、あれかと曲は思い出せるんだけどそれが自分に今も必要かどうかは何度か聴かないと判断できない。その作業はもちろん楽しいんだけど結構時間がかかる。だから借りてきてとりあえずパソコンに取り込んだだけで保留にしてるデータも多い。聴き飽きた曲が再生リストに混じってるとその度飛ばさなければならずそれが割と面倒だから聴き飽きてるかどうか慎重に判断してだめならリストからはずす。なかなか手がかかる。
 家人と子供は携帯音楽プレーヤーをそれぞれ持っていて家人はイヤホンで子供はSONYの結構本格的なヘッドフォン(しかも先代が壊れてしまって二代目)で好きな曲をうちでも聴いてるんだけど前にも書いたとおり僕も何台かそういうプレーヤーを試してみたけど(カセットテープ用のウォークマンを二台とミニCD用のプレーヤーを一台、それに初代のiPod Shuffleと計四台だから割に長い時間をかけて何度も真剣に試してみてはいる。)結局どれにもなじむことができなかった。今は諦めて英語のリスニングのために塾に置いてるちっちゃなCDプレーヤーで聴く。結婚したときにもう少し高価なミニコンポを買ってそれにミニCDのデッキがついていたのでふたりでレンタルショップに行っては気に入ったCDを借りて来てミニCDに録音して本当によく聴いた。それでミニCDが百枚くらい、もうプレイしなくなったゲームソフトと一緒に磨りガラスの入ったドアつきの物入れの奥にしまってあるけどあれはいつか整理しなければならないんだろうな。そのコンポは始めテレビと一緒にテレビ台の上に置いてあったんだけどあるときテレビを買い換えたらテレビが大きすぎてテレビ台に乗らなくなりベッドのヘッドボードに移動し何年か子供を寝かしつけるのに使われた。宇多田ヒカルさんの「Traveling」とか聴かせるとすやすや眠ることがあったからだ(もちろんそんな簡単に寝ないことの方がずっと多かった。子供を寝かしつけるのは本当に大変だった。)。そのまま今もそこにある。でも結線は全部はずされてかれこれ十年以上は使われていない。つなげば今も使えるんだろうか。これが使えないとなるとミニCDを聴き直す手段はなくなる。大体ミニCDがこんなにすぐに廃れてしまうなんて当時は夢にも思ってなかった。
 秋になったので例によってオフ・コースのベストも聴いてるんだけどこれに収録されている「Yes-No」はアルバム「We are」のバージョンだ。ところが「フォーク歌年鑑」に入ってる同曲はシングル・レコードのバージョンでほんのちょっとの違いなんだけど味わいが格段に違った。だから初めはカットするつもりだったんだけど思い直してリストに入れてすごく懐かしい思いで聴いている。そういうこともあってこの「フォーク歌年鑑」は個人的にすごく価値あるものになっている。

夜と少女。

 今回読み返した村上さんの多分短篇の中に人の話に耳を傾けながら自殺する唖の青年を描いた小説が出てきた記憶があるんだけど正にこれがその作品だった。夜と少女の組み合わせというイメージが「結婚式のメンバー」を思わせる。そしてここにいるその少女は本当に生き生きと描かれてると思う。音楽に関する感受性の鋭さは作者の伝記的な事実と重なってるかも知れない。でも個人的に惹かれたのはそこだけだった。訳者があとがきで言うように主要な登場人物は孤独でありそこには出口というものが見つからないのかも知れない。でもそれに心を打たれるということは少なくとも僕にはなかった。ドストエフスキーの「悪霊」に出てくるピョートル・ヴェルホーヴェンスキーに似てるなこの人は、とかそういうことを思っただけだ。だとしたらその挫折は先験的に運命づけられてる気がした。あと黒人の医師の姿は図らずもタイムリーに見えるかも知れない。僕は訳者の言う「若い人」にはもう入らないと思うけどこの作品に打たれるには何かが決定的に足りない。

懐かしの一九八〇年代。

懐かしの一九八○年代 ‘THE SCRAP’

 1987年初版なのにこの副題となっているのには作者の実感が反映されている旨本文に記載があるけど今となっては本当に懐かしの1980年代ということになる。僕ももう結構年なので取り上げられてる人物のうち古いジャズ・ミュージシャンを除けば大体誰だか知ってるけど今の若い人だとほとんどわからないかも知れない。当時のアメリカの雑誌を読んで筆者が面白い記事を訳して紹介するという趣向の本で「NUMBER」誌に連載されていたということだ。だからこの年代にどれくらい興味があるかないかで楽しみの度合いが随分異なると思う。個人的にはいちばん古い日付の記事でも高校を卒業した後なのでまあリアルタイムと言っていい。だからとても楽しく読んだ。それを知ったからってどうなるものでもない話ばかりだけど楽しいことは楽しい。
 ひとつだけ発見があった。「ニューヨーカー」に載ったドナルド・バーセルミの短篇「落雷」について筆者は、「落雷に打たれながらも生きのびた人」のインタヴューを集めるフリー・ライターの話(p.24)、と書いてるんだけど、これって「海辺のカフカ」に出てくる佐伯さんが高松を離れてる間に一時就いていたと言われる仕事と同じですよね。こんなところに元ネタがあったなんてどれくらいの人が気づいてるんだろう?

主張が強い気がする。

 

村上朝日堂 はいほー! (新潮文庫)

村上朝日堂 はいほー! (新潮文庫)

 

  エッセイ集は短篇集よりさらに読むのに時間がかからないみたいだ。

 「はいほー!」というお気楽な名前がついてる割りにはこれまででいちばん筆者の主張が強いように感じられる。一篇一篇が長いしユーモアよりもある種のテーゼを首尾一貫して提出するモチーフが勝っている。「ノルウェイの森」の大ヒット以後結構いやな思いをした時期があったとどこかで作者が述べていたのでその頃書いたものなのかなと思ってたらあとがきによるとそれ以前に書いたものらしいので無関係のようだ。一か所時計のねじを巻くことへのちょっとしたこだわりのようなものが書かれていて「ねじまき鳥クロニクル」との類縁性をちょっとだけ感じた。

 ほんとは先に「心は孤独な狩人」を読みたいんだけど個人的なこだわりとして初見の長篇を読み始めるときにはある程度まとまった時間を取って冒頭からある程度まとまったページ数を一気に読みたいと思っている。今はその時間が取れないので後回しになってるんだけどそろそろ読み始めたいなあ。

思い合わせる楽しみ。

 

村上朝日堂 (新潮文庫)

村上朝日堂 (新潮文庫)

 

 

 

村上朝日堂の逆襲 (新潮文庫)

村上朝日堂の逆襲 (新潮文庫)

 

 

 図書館で借りてきた「村上朝日堂」と「村上朝日堂の逆襲」の文庫版を読み終えた。前者は平成19年に後者は同18年に改版されているが内容に変更があったのかどうかわからない。さすがの村上さんもエッセイまで改稿するとは思えないけどそれも推測でしかない。
 ところでこの二冊はかなり念入りに読み返されていたようで読んだ覚えのないページはほぼなかった。長篇なら好きなところだけ短篇集なら好きな作品だけという偏った読み返し方をしてたみたいだけどエッセイ集は割りに気を抜いて読めるので頭から最後まできちんと読み返していたようだ。それも一度や二度ではない気がする。暇なとき(独身のひとり暮らしは暇に満ちている。)に本当にその文章を読み返したくてベッドに寝転がっては時間も忘れて読んだいたんだと思う。なんて言うか考えようによってはいちばん純粋な本の楽しみ方のようにも思われる。本当は、幼い頃から若いときまでにだけ許される最もぜいたくな時間と言っていいのかも知れない。そう考えると高校を卒業してすぐにひとり暮らしを始めたのは間違っていなかった気もする。それがいちばんの間違いだったと思うときもあるんだけど。
 「村上朝日堂」は「・・・逆襲」に比べて安西水丸さんの挿絵の情報量が少なくてすごくいい気がする。さっと見てぱっとわかるので文章を読むリズムにほとんど影響がない。これに比べると「・・・逆襲」の挿絵は結構言葉も多くそれなりの物語を語っているので本文への理解とはまた違った回路で理解せねばならずやや邪魔になると言って言えなくもない。申し訳ないけど今回はほとんど読み飛ばしてしまった。そのかわり「・・・逆襲」にはあれとこれとを思い合わせる楽しみがあった。たとえば「交通ストについて」にある線路脇の家の話は「カンガルー日和」の中の「チーズ・ケーキのような形をした僕の貧乏」を思い起こさせるし、「間違いについて」にある「象が縮んで手のひらにのっても」という表現はどう考えても短篇「象の消滅」と対をなしている。「阪神間キッズ」に登場する田園調布出身の男性は「女のいない男たち」所収の「イエスタデイ」を思わせずにはいないし、「13日の仏滅」の占いの話は「中国行きのスロウ・ボート」にある「土の中の彼女の小さな犬」や「ねじまき鳥クロニクル」(と、その前身)とリンクしている。そういう思い合わせはファンとしてはとても興味深かった。もちろんひとつの作品にどれくらいの事実が含まれているかはわからないしまたそれをわかろうとするのは全く無意味だ。だからそれはまるっきり無駄な作業なんだけどそれでもなんとなく楽しい。