指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

メタレベルでのコントロール。

 この作品を読みながらしきりにメタレベルという言葉が頭に浮かんできた。物語としてはこの作者の長編のいくつか同様にかなり荒唐無稽な訳だ。でもだからと言って破綻してる印象にはならない。最初から最後まで物語に一貫性を持たせる一筋の何かがどこかにある。そのことはよくわかる。でもそれがどこにあるなんなのかと問われるとよくわからない。でもこれだけの長い物語(文庫にして九百ページを越える。)を空中分解することなく持続させるためには何か強力な根拠が必要なはずだ。目には見えないそれがメタレベルで存在して物語をコントロールしている。そんなイメージが繰り返し訪れた。たぶん語り手以外の何人かの登場人物がときに姿を変えたり隠したりしながらも結局最初から最後まで登場し続けていることもそのイメージをつくり出すのに一役買ってる気がする。彼らひとりひとりの思惑や動機はあまりはっきりしない。でも繰り返し語り手の前に姿を現すのだからそこには彼らなりの一貫した何かがあるはずだ。今の僕に言えるのはせいぜいがそんなところまでだ。一週間くらいで読み終えたことになるけどその間続きが気になって一日も休まずに読み続けた。という意味ではおもしろい作品と言えると思う。前にもちょっと触れたように以前一生懸命読んでた作家の未読の作品を読むというのが続いている。この作者の作品もあるところまでは手に入る限り持ってる。「ギケイキ」の3が出てるらしいのでそれも近く読みたい。
 今日のスイムは三十分で九百。いろいろあって四日間休んだら体が軽くて久々に気持ちよく泳げた。明日はまた千メートルを目指す。

再び星乃珈琲店に行く。

 別に予告という訳でもなかったんだけどおとついのブログに書いた通り今日も星乃珈琲店へ朝食を食べに行った。家人は前回とまったく同じフレンチトーストとオレンジジュース。僕は前回と同じハムチーズトーストと前回とは違うブレンドティー。前回と同様に珈琲店でコーヒー回避。でもブレンドティーおいしかった。ポットサービスでカップにほぼ二杯分の量。たぶんダージリンがベースなんじゃないかと思うけどなんて言うかすごくおいしい。もう年も年だから結構お高い紅茶も飲んできた気がする。それらに比べてもおいしい紅茶だった。だからコーヒーもおいしいんだろうな。飲んでみたい。でも眠れなくなるのがいやなんでね。
 大学四年生のアルバイトさんは三月まで勤務して皆辞めて行く。仲よくしてくれた学生さんにシャーペンをあげるのもできる限り続けている。昨日も東工大の学生さん(そんな人がこんな職場にいて初めはびっくりした。)ととてもきれいな女子学生であるところのシマオさんとうちの塾の初めての生徒さんで少し前からバイト仲間になったうちの子と同級生の学生さんにあげることができた。東工大の学生さんはスメルジャコフの(たぶん)名台詞「賢い人とはちょっと話してもおもしろい」の通り話してていろいろおもしろかった。特に彼の人生設計みたいな話にアドバイスを求められたりしてわかる範囲のことは答えたりした。三月もバイトに入るということだったけど次にいつ会えるかわからないのでシャーペン渡せてよかった。僕よりもずっとドライで合理的な考え方でなるほどそういう割り切り方もあるんだなと感心させられた。僕自身はもっとずっとウェットなのでだから去って行く人にシャーペンなんか渡してる訳なんだけど。シマオさんは帰る時間になっても帰らない僕を不審そうな目で見ていた。僕としては帰り際にシャーペンを渡して切り口上だけ残して帰りたかった。でもいざその瞬間になると彼女はお客さん対応に追われていてまあ要するに間が悪かった。でも辛抱強く待った。そして事情を話してシャーペンだけどいりますかと問うと文字通り小躍りして欲しいです。と言うので持ってた三色から選んでもらってコーラルピンクのをあげた。大切にしますと彼女は言った。うちの塾の最初の生徒さんがまさかバイト仲間になると思ってなかったけど実際になったのは仕方ないしまあそれくらいには塾も長くやってるということなのかも知れない。うちの塾では小六から中一になる段階で「卒業祝い」と称してシャーペンをあげることにしててでもそれがいつ頃からなのかはっきりしなかったので彼に中一になるときにシャーペンあげた?と尋ねるともらってませんと言う。大学今年卒業でしょと問うとそうだと言うので彼にも一本あげた。アマゾンで一万円近くシャーペンを発注したんだけどこの分だとどれくらい在庫が持つのかねえ。つかこれがバズってシャーペン贈与が一大イベントになったりしてね。しないだろうけどね。

スターがつけられない。

 長くおつき合いをしてるブロガーさんが新しいエントリをアップされて読んだらすごく心に沁みたのでスターをつけようとしたんだけどつかない。なんで?なんか赤のスターをふたつ持ってるのでそれをつけようと余計なことをしたのがよくなかったのかも知れない。つかないから何度もクリックしちゃったのでほとぼりが冷めたら七つとか八つとかスターがついてることになっちゃってるかも知れない。でもまあそれならそれでそれくらい心を動かされたということをおわかりいただけるとうれしいです。スター一個派の僕だっていくつものスターをつけたいエントリがあるときにはある。スイムは今日で三日連続お休み。読書とスイムを両立させられるかが今後の課題。だな。

追記 今もう一度やってみたらスターがついた。よかった。

星乃珈琲店に行く。

 家人がフレンチトーストが食べたいと言うので池袋の星乃珈琲店へ行く。家人はフレンチトーストにオレンジジュース。僕はハムチーズトーストにオレンジジュース。珈琲店と言ってるのにコーヒーは飲まない。眠れなくなっちゃっちゃうからね。ハムチーズトーストはやさしい味で本当においしかった。明後日の日曜がお休みなのでまた行くかも知れない。それから西武にある無印良品で家人が欲しいものを探したらことごとく在庫がなくて完全な空振り。まあそういうのは仕方ない。店舗によって品揃えが違うかも知れないし。無印からエスカレーターで一階分下りた三省堂書店で一瞬だけ新刊見ていい?と家人に断って新刊の面陳スペースを見たら目に入ったのがハードカバーの「中国行きのスロウ・ボート」。なんか復刊されたらしい。僕は二十代に買った文庫本のこの作品を今でも持ってて折に触れてと言うかあの本読み返したいなと思うと(そんなことを思うことがたまにある。)本棚から引っ張り出して読んでいた。若い頃はもっと時間があったのでもっといろんな本をしょっちゅう読み返してた。ベッドにごろんと横になってもう何度も開いてきた同じページを飽きることもなくめくる。今思うと本当にぜいたくな時間だった。その中でもこの作品は一、二を争う読み返され率だった気がする。何がそんなに気に入っていたのか。わからない。今もってわからない。そういうことって考えなくちゃいけないのかな。考えて理由をはっきりさせなきゃいけないのかな。ただ好きってことじゃいけないのかな。つか六十にもなってこんなこと書いてる自分ってどうなのかな。わからない。とにかくその読み返しまくった文庫版の「中国行きのスロウ・ボート」が何年か前に本棚の整理それも根本からの大がかりなものではなく局地的な小規模なものを経た後でどこかに消えてしまった。今もその本があるはずの棚を子細に眺めてもその影は確認できない。以来この本を読み返したいなと思う度にいやあれ行方不明だったんだという自答を繰り返してきた。プロパーで買い直すのも業腹なのでブックオフで買おうと何度か探してみたんだけど意外に値崩れしてなくて定価の一割とか二割とか値引きされてるだけだった。それはお気に入りの文庫本を買い直す価格としてはお手頃とは言いがたかった。それで買わずにいた。その本がハードカバーで復刊されていた。もちろん文庫版よりもその中古よりもはるかに値が張る。でもこの作品のハードカバー版を目にするのは初めてだったし安西水丸画伯の慣れ親しんだ表紙絵が文庫より大きく印刷されてるのはとても新鮮に映った。だから買った。同じ作者のなんかジャズのレコードについて書かれた新刊も近くにあったけどそちらは買わないことに決めた。この手の本は興味のない立場からすると読んでも何もわからないから。なんか最近のこの作者はクラシックのレコードとか自分の持ってるTシャツとか今回のジャズのレコードとかをテーマにして本を書いておられるけどちょっとさすがにそれってどうなのと古くからのファンは思う。もっと言うとラジオ番組「村上RADIO」だけどそのネーミングはなんなのかなあと思う。たとえば小林さんが「小林RADIO」を立ち上げたり長谷川さんが「長谷川RADIO」を立ち上げたりしますか?そう考えるとなんか「何様?」感があってこの人は昔はそういう人じゃなかったのになあと思う。村上春樹ライブラリーについては言うに及ばずでそのことは前にも書いた気がする。だから僕は昔の本の復刊を寿いで喜んでまたそのページをめくる。ちなみにこの本には「新たな序文」が収録されてると帯にあるけど三ページに満たない特に読む必要のない序文に過ぎないのでこれに惹かれた方は立ち読みに留めた方がいい。と僕は思います。

箱ひげ図。

 木曜日なのでということもないんだけどスイムはお休み。疲れがたまってる気がしたから。昨日はニュースに接して多少頭に血が上りもう随分酔っ払った状態だったのに意地でブログを書いた。今日読み返してみたら酔っ払いの割にはまあまあ言いたいことが言えててちょっと安心した。
 都立高の入試が昨日あったので今日の朝刊にはその問題が載る。うちは主に捨てるのが面倒という理由から何年か前に新聞を取るのをやめた。だから問題を手に入れるために今日だけは近くのコンビニに新聞を買いに行こうと思ってたんだけどまんまと買いに行くのを忘れて思い出したのは夕方もう塾の授業が始まってからだった。でもコンビニの風景を思い出すと外はもう暗いのに新聞は結構ささっているように思われて午後七時半くらいだったかな買いに出かけた。そしたらやはり朝刊が結構売れ残ってた。あの在庫一体どうするんだろうと思うくらいに。大手の新聞を一部ラックから引き抜いて中をあらためると果たして都立入試の問題が折り込みになってる。レジに持ってくと値段は百八十円。新聞なんて滅多に買わないからとっさに高いなと思う。でも朝刊には薄手の文庫本と同じくらいの文字数があると言うし薄手の文庫本の代表のように思われる新潮文庫の「坊っちゃん」や「老人と海」でも今日び百八十円では買えないと思うのでそう考えると高くもないのかな。とか思いながら塾まで戻って本紙には目もくれずに折り込みの入試問題を開く。数学の問題をみて驚がく。大問1に箱ひげ図が出題されている。三年前だったかな中学生の教科書が改訂されたときに二年の数学に新たに採用された単元だ。でもうちの塾の受験対策では完全にノーマークだった。これはもう僕の落ち度としか言いようがないのでもしもうちの生徒さんがこれを間違えていたとしたらその責任の半分くらいは僕にある。でもまあ半分くらいしかない。難しい単元ではないのでみんなこの問題を正解していると信じている。・・・すいません。
 昨日のスイムも千メートル。書くの忘れてた。

印象だけで書くと。

 テレビのニュースを一本見たときの印象だけで書いてて裏とかとってないので事実誤認があったら申し訳ありません。
 三年ほど前に小学生の女の子が自殺してそれがいじめを苦にしてのことだったらしいので調査委みたいのが立ち上げられた。その調査結果が出ていじめはあったと認めた上ででも自殺の直接の原因は複合的で特定しがたいということだったと今日のニュースでみた。それに対し遺族側がその調査結果に不満を表明し自分たちは実際に何があったのかを知りたいだけだとコメントしていると言う。
 もちろん僕だって自殺を考えたことはある。と言うかシリアスからおふざけまでグラデーションは多々あれどほとんど誰もが一度くらいは自殺することを考えたことがあるんじゃないかという気がする。あなたはどうですか。そして僕の場合そのときいちばんの抑止力になったのは親だった。親が悲しむということだった。そしてその抑止力の卑小さに自分でも相当うんざりした。たとえば―あくまでたとえばだけど「自動律の不快」とかそういう思想的と言うか観念的と言うかそういうもので自殺を考えたとしたら親なんて自殺の抑止力にならないんじゃないかと思ったからだ。親のために思いとどまる自殺なんて凡庸すぎる。でも今考えればそれは僕なりの家族の発見ということだったかも知れない。当時は親元を離れたばかりで親の支配下から逃れてせいせいしたと思う一方で離れてみて初めてわかる親の恩みたいなものもやはり感じない訳には行かなかった。僕の中には親に充分に愛されて育った痕跡があった。それは僕の心を常に温めつらいこと苦しいことに対する耐性を形作ってくれていた。後年になって家族論なんか読むようになると自分の自殺の抑止力が意外に正当な根拠を持つものだったんじゃないかと考えるに至った。それはもはや卑小な抑止力なんかではなかった。
 もしも自分たちの子供が自殺したとしたら―僕は自分もしくは家人も含めて自分たちを激しく責めると思う。家人や僕の存在は子供の自殺を思いとどまらせる根拠にならなかったという理由で。子供の自殺を思いとどまらせるほど僕たちは子供を愛してやれなかったその心を温めてやれなかったという理由で。そればかりでなく僕らは彼がそこまで追い詰められてることに気づいてやれなかったという理由でも自分たちを責めなくてはならない。そこに至るまでに周囲に気づかれる兆候がまったく何もなかったということはおそらくあり得ないから。
 それで結論だ。実際に何があったか知りたいと言うけどそれより前に親のできることはあったんじゃないかというのがそれだ。我が子が自殺して調査委が入ってその調査結果に不満を表明するよりずっと前に子供が自殺しないように全力を尽くすのが親の義務なんじゃないだろうか。そして子供が自殺してしまったらそれを止められなかった自分たちを猛省するしかできることはないんじゃないだろうか。いじめと自殺に仮に因果関係があったとしてもその因果関係に介入して因果のつながりを断ち切ることができたのはまず第一に親だったはずだ。ことが起こってから他人の調査に不満を表明するくらいなら全力で子供を愛し守ってやる必要があなたたちにはあったんじゃないか。僕はそう思う。

分厚い文庫本を読み始めた。

 図書館で借りた分厚い文庫本を昨日から読んでいる。京極夏彦さんとか清涼院流水さんとかの作品は失礼ながら読んだことがないのでこれだけ厚い文庫本を読むのは覚えている限りカズオ・イシグロの「充たされざる者」以来十何年ぶりという気がする。いやもしかしたらもっとぶりかも知れない。「充たされざる者」感想書いたかなあ。覚えてない。今言えるのは同じイシグロの「クララとお日さま」でクララの視界がバグったような記述がちょっとだけあるじゃないですか。ああいうバグったような記述を積極的に採用して書かれた作品だったということだ。シュールで非現実的で不安をかき立てる。あれ?シュールと非現実的って同じ意味ですか?今更ながらそんなことも知らない。まあいいや。ということでこの忙しい時期に喫緊の課題ではない分厚い文庫本を読み始めた。でも二日で三百ページ読めたのでたぶん完読できると思う。
 今日のスイムも千メートル。疲れた。いつまで経っても全然楽になった感じがしない。これでいいんだろうか。まあいいんでしょうけど。

九連勤。

 二月は日曜日に完全なお休みをもらうことにした。バイトも塾もなし。ところが昨日は急に都合の悪くなった学生さんがいて誰かバイトを代わってくれないかとグループラインで知らせて来たので入ることにした。日曜日は親子連れとかでプールは混み合う。混み合うと仕事は大変だ。だから日曜にシフトに入るときは比較的空いてる夕方から夜にかけてだけにしていた。それが本当に久しぶりに朝いちから入ったらやはり混み合い午前中だけですっかり疲れ果ててしまった。もう金輪際日曜の午前のシフトには入りたくない。ところが午後にも欠員が出てもともと四十五分だけだったシフトをプラス二時間に増やしてもらえないか社員の人に打診された。そうなると気の毒に思う質なので引き受けた。帰宅してお風呂に入っていつもより早めに一杯やり始めたんだけど疲れがどっと出て何もやる気にならない。夕飯はほっともっとの唐揚げ弁当だったのでそれだけようよう食べてブログを書くのもそこそこに寝た。前のお休みが十三日の火曜で次のお休みが今週の金曜日二十三日祝日。九連勤ということになる。なんとか乗り切りたい。それでも今日のスイムは千メートル。明日も目標は千。つらくとも継続は力なり。

椎名林檎さんのファーストアルバム。

 結婚したばかりの頃MDのついたミニコンポを買ったので家人とふたりでよくレンタル屋へ行って好きなCDを借りてはMDに録音していた。今思うとすごい楽しかった。家人と出かけるのは今も楽しい。でも結婚したばっかりというのにはその時期にしかないなんて言うか輝きみたいなものがある気がする。うまく言えない。椎名林檎さんの「無罪モラトリアム」を借りたのはたぶん家人だったと思う。今図書館で借りてきたそのアルバムを聴くとひたすら懐かしいのとこれは傑作じゃないかという思いとの両方を抱く。特に僕は「茜さす 帰路照らされど・・・」がものすごく好きだ。一日が終わってしまうという夕刻本来の哀しみがこの曲には生(なま)の形で保存されてる気がする。メロディーが茜色に染まってる。でもこれに限らずどの曲もみんないい。思い出補正と言われても構わない。家人がこのアルバムのことを思い出してくれて本当によかったと思うバイトですごく疲れた夜だ。今日のスイムは千メートル。三十分ちょっとだからいつものペースかな。いろいろあって今日は長い一日だった。そのいろいろを書く元気がない。という訳で皆さまどうかいい夢を。

着実に進める。

 年度末は忙しいので少しずつでも毎日着実に話を前に進めなければならない。直近の課題は三月分の月謝を徴収すること。エクセルでつくった月謝袋のデータの二月分の欄に受領印代わりのマークを入れ受領日を書き込んで印刷する。月謝袋代わりに使ってる片面だけ透明な封筒状のビニール製の袋にそれを入れて完成。全部で三十分くらいの作業かな。でも生徒さんたちがいるところではそれは絶対にしない。なんでかと言われると難しい。ただ生徒さんたちにはできる限りお金のことを意識して欲しくないと思ってるからだと思う。なんだ全然難しくないか。それができあがると次に割に気の重い作業に手をつける。今月分の月謝が未納なおうちと学年末も近いのに今年度の教材費が未納なおうちに督促のメールを書く。こういうの本当に苦手なんだけどあまり長い時間の滞納ならばそうも言ってられない。バンジージャンプのジャンプ台からえいやっと一歩踏み出す覚悟で書いて送る。七時間経った今もどこからもなんの音沙汰もなし。僕ならとりあえず平謝りに謝るけどね。かく言う自分も含めてまあいろんな人がいる。それから受験生向けの次の授業の準備。それが都立入試までの最後の授業となる。この前も書いた通りひとりは自信満々で期末考査の対策なんかしてるけどそうじゃない生徒さんもいる。少しでも多くの自信と共に本番に臨んで欲しい。と思ってこちらも最後までがんばる。それだけ片付けるとバイトの時間。土曜日は夜もバイトしてるんで。今日のスイムは三十五分で千メートル。最低限の仕事かな。

時間を間違える。

 朝泳ぎに行って三十分弱で九百しか泳げずでもまあしょうがないかと思いながらプールから上がりシャワーを浴びて体を拭いた後更衣室のカーテンを閉めて乾いた水着に着替え濡れた方はビニール袋に入れてロッカーにしまった。それから勤怠管理のシステムに出勤時刻を打ち込み詰め所に戻ってシフト表を確認して初めて自分が来るべき時間より三十分早く出社したことに気づいた。つまり仕事が始まるまでにまだ三十分ちょっと残されている。それでもう一度泳ぐことに決めてロッカーから濡れた水着を取り出しカーテンを閉めて着替え再びシャワーを浴びてからプールに入った。それで十分くらいかけてゆっくり二百メートル泳いだので今日のスイムは合わせて千百。いつもより出勤が三十分遅く設定されることがたまーにあって今日はそれに気づかずいつも通りの時間で動いたということだ。勤務時間を記す表の今日の欄に打刻時間間違えましたすいませんと書いておく。前にも書いた通りここは勤怠管理システムと手書きの勤務表の二種類に勤務時間を記録しなければならない。その上あろうことか勤務時間の計算には手書きの勤務表の方が優先される。なんのために高いお金(たぶん)を出してシステムを導入したんだかわからない。けどまあ僕が口を挟む問題ではない。好むと好まざるとに関わらずそれが現実だというだけのお話。
 この前バイトを辞めるA君とB君にお餞別のシャーペンをあげたことは書いた通りだ。そのときそばにいた男子学生が僕も欲しいですと言うのでバイト辞めるときにあげるよと答えた。でもなんかそれじゃあかわいそうな気もしたのでアマゾンからシャーペンが届いたことでもあるし一本あげようと思って今日持って行った。じゃあこれあげるからたくさん勉強してよと言って差し出すとこれってすごいいい奴じゃないですかと言うのでいや一本三百円だよと答える。すると大学も学部も学年も同じバイトの別の男の子の名を挙げて彼にもあげてもらっていいですかと尋ねる。図々しいとかそういう感じはまったくせず自分がもらえたんだから彼ももらえるはずだと天から信じて疑わない無邪気な感じに好感が持ててじゃあ持って来るよと答える。このシャーペンプレゼントは相手にとっては押しつけに過ぎない単なる自己満足かも知れない。少なくともそう考えるのが世界との比較的正しい距離の取り方なんじゃないかという気がする。だからだろうか相手から欲しいと言われたら嫌な気はしない。あるとき思いついてもう一年以上続けてるけどそれがどういう意味を持つ行為なのかは我ながらまだよくわかっていない。

確定申告の準備を始める。

 塾にとって年度替わり前は新しい時間割をつくったりそのためのアンケートを取ったり新学年の受講料について案内したりとなかなか忙しい。だから確定申告の用意は二月中に終わらせておくのが望ましい。ちょっと心境に変化がありもっとよいバイトがあったらかけ持ちとか思い切ってそっちに全フリしちゃったりとかしようかなと思ってスマホでバイトを検索してるうちそんなことしてる暇があるんだったら確定申告に取りかかるべきなんじゃないかと気づいた。それでとりあえず去年の分の領収書やレシートを整理することにした。確定申告のためのソフトはやよいの青色申告を使っている。経費の入力のとき僕だけかも知れないけど領収書やレシートが月ごとにまとまってる方がいくらか手間が省ける。なのでたまった領収書やレシートの山を取り出して月ごとに分ける作業をした。なんでもそうだけどゼロ歩から一歩への間にはものすごい距離がある。でも一歩を踏み出してしまえば次の一歩までの距離は格段に短い。今年はもうその一歩目を踏み出したのでおそらく今月中に確定申告の用意は終わるだろう。家人の分もあるけどそちらは塾とは比べものにならないほど簡単だ。二、三時間もあれば充分だろう。早く終えて心置きなく来年度のことを考えたい。
 昨日来た受験生が今日は期末試験の勉強していいですかと言う。入試じゃなくて?と思わず訊き返すとそうじゃないと言う。でも内申書は二学期の成績で作成されすでに志望校に提出されてるし三学期の期末試験の準備にこの時期(都立高の入試まで一週間だ)時間を割く必要はあまりないんじゃないかと思って受験勉強の方は大丈夫なの?と尋ねるとたぶん受かると思いますと答える。僕の場合自分のどんな入試に対してもたぶん受かるなんて金輪際思ったことがないのでなんかすごい子がいるもんだなと感心する。実際この時期に受験対策じゃなく期末試験対策を優先させる生徒さんなんて今までにひとりもいなかった。でもこういう子はたぶんほんとに受かるんだろうな。この生徒さんの合否に関しては後日きちんとご報告します。
 今日のスイムはお休み。他のバイトをしたくなったという心境の変化についてはすごく微妙で長い話なのでうまく書けそうという見通しが立つまでは触れないと思います。すいません。

ふたつもらう。

 今年のバレンタインはふたつプレゼントをもらった。ひとつはプールのお客さんのワミさん。もうひとつは家人。ワミさんはGODIVAのチョコレートをくれた。初めて食べたけどおいしいのかどうか今イチわからなかった。家人はエクレアをくれた。エクレア割に好きだ。滅多に食べないけど。ワミさんには何かお返しをしないとと考えている。でも何がいいのか全然わからない。
 昨日結構食べたと思ったのに今日体重を計ると六十九キロを切っていた。仕事してるよりうちでごろごろしてる方が体重が減る。どういう訳なんだろうか。でも経験的に言ってそれは事実のような気がする。
 今日のスイムは三十分ちょっとで九百メートルと割に不調。昨日の夜泳いだ疲れがまだ残ってたみたいだ。明日また仕切り直そう。
 昨日気づいてちょっと驚いたことがある。それは右膝に怪我をして四時間近い手術を受けたのが1995年1月17日つまり阪神淡路大震災の起こった日だったことに端を発する。場所は実家のある足利市の日赤病院だった。そしてこの前の同じ日1月17日にも母親の入院のために足利の日赤へ行かねばならなかった。二十九年を隔てて同じ日に同じ場所(と言ってもその間に病院は移築されてるんだけど。)でどちらもかなり重要な体験をしたことになる。奇遇と言えば奇遇な気がする。二十九年という年月の意味は不明だ。ただ自分としては直径二十九年のとても大きな円環がやっと閉じたようなイメージを抱いている。「海辺のカフカ」の星野ちゃんが重い石をひっくり返して何かを終わらせたみたいに。何が終わったんだろう。でもその円環は怪我の手術に始まり病気での入院に終わってるので忌むべき何かを閉じ込めてくれる禊ぎのようなものだったんじゃないかと考えている。だとしたら僕はより明るい未来に向かって行けるんだろうか。願わくばそうであって欲しい。と思う。大変な目にはもう充分遭ってきた気がするから。

昨日の話、今日の話、その後短い追記。

 A君とB君は同じ専門学校に通うバイト仲間だ。ふたりとも同じ会社に就職が決まっている。昨日の午前中A君と同じシフトに入って話をしてたら今日で一応バイトは最後だと言う。会社の事前研修とかで忙しくなるんだそうだ。仲よくしてくれたバイト仲間には最後にお気に入りのシャーペンをプレゼントすることにしてる。いつもは受付で使う用に同じシャーペンを一本バックパックに入れてるんだけど何日か前にも今日が最後だと言う学生さんがいてその場であげちゃった切り補充してなかったので持ち合わせがない。聞けば午後もラストまでシフトに入ってると言う。僕も夕方からもう一度シフトに入ることになってたのでじゃあそのときにあげようと心に決める。B君にもあげたいと思ってB君も辞めるのか尋ねると木曜までだと答えるのでB君にはそのときあげることにする。木曜は僕もシフトに入っている。それでいったん帰宅してお昼を食べて昼寝して夕方塾で授業をして塾に置いてあるシャーペンを携えて再びバイト先に行く。それでA君にシャーペンをあげるとすげーうれしいっすと言った後にこのことはBには黙ってますねと言う。いやB君にもあげるよ木曜日に来たときにと言うとそれは僕の勘違いで今週ではなく先週の木曜日で最後だったとのこと。じゃあもうB君に会う機会はない。どうするかちょっと考えたんだけど塾まではバイト先から二、三分の道のりだから十五分間の休みの間に行って行けないことはない。寒空の下Tシャツに短パンというユニフォーム姿で急いで取りに帰った。それでもう一本をA君に差し出してB君に会ったら渡してくれるよう頼むとオレが二本もらっちゃ駄目ですかと言う。駄目に決まってんじゃんそんなの。これで去年だったかなアマゾンで買ったゼブラから出てるライムグリーンのColor Flight十本セットは一本残らず誰かにあげてしまった。あわててアマゾンで検索したら同じものはもう売ってないみたいだ。色違いなら残ってたので黒と白を合わせて二十本ちょっと発注。芯の太さが0.3mmのものの方がたくさん在庫があるようだ。でもシャーペンの芯というのは太さ0.5mmがデフォルトのような気がする。単なる思い込みなのかな。去年同様春はお別れの季節だ。年度が替わるまでにまだ何本かはプレゼントすることになるかも知れない。
 それから今日の話。朝泳ぎに行くつもりだったけどいったん七時に目が覚めたものの結局九時まで寝てしまって諦める。計画通り池袋パルコへもつ鍋を食べに行くことにしてまだ寝てる子供に十時過ぎ声をかけて一緒に行くか尋ねると行くと言う。それで三人で出かけた。お客さんが並んでることもあるらしいけど時間が早かったのかすぐに席に通される。子供がもつ鍋御膳を家人と僕がもつ鍋定食を頼み僕は生ビールを二杯飲む。御膳と定食は何が違うかというともつ鍋の他にご飯かちゃんぽんが選べるところまでは同じでその他のサイドメニューみたいなのが御膳の方が何品か多い。
https://www.motu-ooyama.com/shop/tokyo/
 鍋は三人分一緒にされレアの状態で出てきてテーブルのIHIで温める。ばらばらでも注文できるらしい。その他に小鉢とシメのご飯かちゃんぽんの載った盆が出る。子供と家人が即座にちゃんぽんを選んだので僕もそれに乗る。何しろ本場の人たちだからその判断は正しいんだろう。鍋が吹きこぼれやすいので火加減に気をつけるよう店員さんに言われてたので割にこまめに調節する。できあがるまでに十分くらいはかかったかな。味は僕は正直まあまあくらいかなと思ったけど子供も家人もおいしいおいしいと食べてたのでひとまずはよかった。生ビールはプレミアムモルツで不思議な甘みがあってなかなかおいしい。おなかいっぱいになったつもりだったんだけど昼寝から覚めたらすっかりおなかが空いていた。野菜中心だったからね。でも思ったほど高くなかったのでときどきは足を運んでもいいかな。それとも他のもつ鍋屋さんにもチャレンジしてみるべきなのかなと悩むところだ。そろそろ泳ぎに行く時間だ。夕食は家人とほっともっとへ買いに行くことになっている。
 二度目の追記。今日のスイムは五十分くらいで千四百七十五。千五百まであと二十五メートルというところで休憩で上がらなければならずそのまま継続を断念。惜しい。けどまあいいや。帰ってシャワーを浴びて家人とほっともっとへ。子供と家人はすでに食事を終えた。僕はお風呂に入ってから寝酒の途中に食べるつもり。

ロックオンされる。

 今日バイトでプールの受付をやってたら前にもQUOカードとか図書カードとか下さった(以下敬語やめる)ワミさんがやって来て思い詰めたようにあの十四日はいらっしゃる?と尋ねる。十四日は出勤の予定なのではいおりますと答える。ワミさんは小さな声でそっかいらっしゃるのかと独りごちてそのまま女子更衣室に入って行く。こちらはもちろんそれってバレンタインデイの予定の確認なんだろうなと思う。ロックオンされてしまった訳だ。ちなみにこのワミさんという人はとても品があってその点ではお客さんの中でも群を抜いてる気がする。どこがと言われると答えに窮すんだけど立ち居振る舞いや言葉遣いにいいおうちで育ったんだなと思わせる何かがある。これまでにもらったお菓子なんかもどれもとてもおいしくてそういうのを知ってるというのはいいとこのお嬢さんだからだとしか思えない。一時期社長令嬢(死語か?)とつき合っていたのでそういうのはなんとなくわかる。でもそういう人から何かもらってもお返しなんてできない。裕福な人のプレゼントに見合う品をお返しするお金なんかない。貧乏なのでね。困った。でも家人にその話をするとそういう人の「推し」みたいな役目ができてるのならそれは相手にとってもいいことなんじゃないのと言われる。まあそう言われてみればそういう気もする。ワミさんには遠回しに好きだと言われたことがあったり彼女の水泳仲間で僕はワミさんの「旦那さん」と呼ばれてるとかいう話もあったりなんだか自分で書いてて中学生みたいだな。でもどきどきするって中学生くらいの心に戻るってことなのかも知れない。中学生ってどきどきするよね。何ひとつ自分ではうまくコントロールできないしさ。
 今日のスイムはなんと!三十分で千メートル!快挙!でもだからと言って倍の六十分で二千メートル泳げそうかと言うと無理みたいだ。とにかく目標には近づいている。明日も三十分で千メートルを目指す。